桂離宮は、京都の西部に江戸時代の始めに、後陽成天皇の弟桂宮によって創設され、明治以降、離宮とされてきた名園 です。 離宮扱いであるため、拝観するには宮内庁に 申請して許可を得る必要がある のですが、本書は、和辻が宮内庁からの許可を得て拝観し、印象とそれに基づく考察をまとめた1955年の著書の1958年の改訂版を、1992年に中公文庫で文庫化したものを2011年に改版したものです。アート紙に印刷され、264ページの本文に19点の白黒写真と堀口捨己氏による二面の図版を添えた、小さいけれど美しい本です。和辻の『古寺巡礼』(1919年)に始まった思索者としての長い旅路の掉尾を飾る名品であると思えます。

 1955年の著書にあった誤りを建築 史家の太田博太郎氏の指摘に基づく訂正を加え、考察し直した本書は、桂離宮を 拝観して受けた印象 を、太田氏らの史料に基づいた検証に支えられて再考を加えた本書は、和辻の歴史家としての手腕のほどを示したものと思えます。桂離宮の庭園と建物の現在の状態と、史料から窺われる史実の間から、和辻が考察を加え導き出した答が 本書には綴られているのですが、本書に記されている桂宮家の人たちのこの庭園と建物を造り守ってきた想いの深さには、感動せずにはいられないように思えます。

 当時のヨーロッパの哲学の最先端を伝えることに腐心する一方で、日本の文化の古くからの姿と対峙することにも取り組んでいた和辻の真骨頂を本書は、示している ようにも、私には 思えます。

 なお、現在の京都御所の一角にあった桂宮家の本邸の御殿の一部は、明治時代に二条城に本丸御殿として移築され、現在も残されています。また、本邸の庭園跡も残され公開されています。

 和辻は、本書を、同時期に造られた日光東照宮との対比から説き起こし、そこから桂離宮を訪ねた印象へと進んでいるのですが、人間と自然を対立させるのとは別の道を 模索していた和辻の歩みの一角を本書は示しているようにも思えます。

  最後に、先日の能登半島を中心とした大地震で被害に遭われた方々には、謹んでお見舞い申し上げます。電気や水を断たれ食べ物も届かなくなっている方々の苦しみには、心が痛んでたまりません。