今回は、「清教徒革命」と「名誉革命」という二つの「革命」に彩られたステュアート家の王たちの時代を扱うことにします。

 エリザベス一世の崩御によりインクランド国王の地位は、遠縁にあたるスコットランドの王家ステュート家出身のスコットランド国王ジェームズ六世が兼ねることになり、イングランド国王としては、ジェームズ一世と名乗ることになります。ここにブリテン諸島は、同じ一人の 人物を君主として仰ぐ時代を迎えたのでした。

 ジェームズ一世は、王権神授説の正しさを説明した著書があり、『欽定訳英語版聖書』の編纂の責任者も 務めた学 者肌の人物である一方で、イングランドでの臣下との間に紛争が起こることを回避し、ヨーロッパ諸国の間ての 宗教戦争に介入することもせず、統治を安定させることに尽くしたのでした。これに対して、跡を継いだチャールズ一世は、信仰や課税をめぐる問題でのイングランドやスコットランドの議会との対立から、アイルランドとスコットランドで起こった反乱鎮圧のための軍勢を調達するために召集したイングランドの議会での紛糾からイングランドでの内乱の発生を招きます。国王の処刑まで招来したこの出来事を国王支持勢力の人々は、「大反乱」と呼んでいて、議会支持勢力の人々は「革命」と呼んでいました。また、ヒルら現代のマルクス 主義派の歴史家たちからは「清教徒革命」と呼れてきたのですが、近年ではイングランド・スコットランド・アイルランドの三つの王国の 統治をめぐる戦争と捉えて「三王国戦争」と呼 んでいる方が増えているようです。

 国王の処刑とクロムウェルの政権掌握により、イギリスは共和制に移行しました 。この時、成立した イギリス史上唯一の共和国のことを「コモンウェルス」と呼んでいます。そして、クロムウェルは、軍事力でブリテン諸島を一つの国にまとめ、 ユダヤ教徒のイギリス居住 を認めた一方で、西インド諸島のジャマイカ島 を征服しイギリスの奴隷貿易と奴隷制への口火を切ったのでした。それは地球環境の大変化の原因の一つになっていると言って良いように私には思えます。

 クロムウェルの死去で共和政は崩壊し、1660年には亡命していたフランスから帰国したチャールズ二世を国王としてステュアート 家が復活したのでした。

このことを 日本では:「王政復古」といいます。この王は、フランスへの亡命中にカトリックに改宗していたのですが、統治を安定させるために国教会への信仰を維持しているように見せかけます。長い動乱の時代を 生き延びてきた民心を安定させることに国王は努め、ある程度の成果を収めていたのですが、 デフォーが作品『ペスト』で描きピープスが『日記』に書き留めたように、イギリスはペストの流行とロンドン大火によって大きな混乱とそこからの立ち直りを経験していました。それでも「陽気な国王」と呼ばれた王のもとで民衆はおおむね平穏な日々を過ごすことができたようです。そして、 国王と王妃の間には、メアリとアンという二人の女子はいたものの嫡出の男子はいませんでした。国王の庶出の男子は王位継承権を持たないため、王の弟、ヨーク公ジェームズが王位継承候補者に決まり、高齢のその跡をチャールズ二世の王女たちが継ぐことが既定の方針になりました。しかし、ヨーク公がカトリックであったため、議論は紛糾し反乱も起こりました。そして、1685年に 王が崩御されると、 ヨーク公が即位され国王ジェームズ二世となりました。それに抗議してモンマス公らが起こした反乱は、すぐに鎮圧されました。しかし 、1688年に国王には男子が生まれました。この子が成人し王になった後、イギリスがカトリックに復帰し国内が大混乱に 陥ることを怖れた貴族たちや聖職者たちは、王子は王の 実子ではないと主張して 、チャールズ二世の娘婿オラニェ公ウィレムとその妻メアリ を オランダから国王夫妻として招くことにします。フランス王ルイ14世の攻撃に苦しめられていたウィレムは、イギリスからの招きに応えるため、軍隊を率いて海を渡りました。ジェームズ二世はイングランドの軍隊に命じて、それを迎撃しようとしたのですが、軍隊の 裏切りにあって敗北し、妻子を連れてフランスに亡命することになりました。ウィレムとメアリは、共に国王として即位し、国王ウィリアム三世とメアリ二世となりました。ウィリアム三世は、ジェーム ズ二世を支持する勢力とフランスの連合軍 をアイルランドやスコットランドでの戦闘で武力で制圧し、イギリスの統治を安定させました。この出来事を、イギリスでは、イングランドについては「無血」で済んただことを名誉あること捉えて「名誉革命」と呼んでいます。そして、イングランドでは、この出来事を「革命」と呼ふことが定着します。この「革命」によって確立した体制には名誉革命体制という名前が付けられています。ウィリアム三世とメアリ二世の間に子どもは生まれなかったので、メアリ二世の妹アンが次に 女王となりました。このアンの時代にイングランドとスコットランドは、法と教会の違いを残したまま一つの国、連合王国として、統合されました。

 なお、このステュアート家の時代の、ベーコン、ホッブス、ロックといった思想家たちや、ミルトン、デフォー、スウィフトらの文学者たち、あるいはニュートンのような科学者たちは、「人新世」を迎えた現代に引き継がれることになるような様々な 問い掛けを行っています。

 次回は、ハノーバー家の時代、アメリカ独立戦争やフランス革命が起こった時代を扱うことにします。