前回 は、イングランド王国を中心に現在の「イギリス」を構成する国々の成り立ちを扱いましたが、今回は、 ウェセックス王国から発展した北海を囲む国であったイングランド王国が、ノルマンコンクェストを経て英仏海峡を挟んでフランスと対抗する王国へと変貌した経緯を辿ることにいたします。

   イングランド王国は、アルフレッド大王の孫アゼルスタン 王によって 927年に統一されたのですが、そのころからスカンジナビア半島からのデーン人の攻撃を繰り返しで受けるようになりま した。そして、デンマークのクヌート王の攻撃により1016年にはクヌート王がイングランドの王も兼ねるようになりました。クヌート王は、1035年に亡くなったときには、現在のイギリス、デンマーク、ノルウェー、にあたる地域全体、北海を  取り巻いた地域全体を支配することになりました。そのため、クヌート王が支配した国を、北海帝国と呼ぶこともあります。ただし、この帝国は、クヌート王が亡くなった後の 後継者をめぐって争った 結果、10年も 持ちこたえることができないで崩壊します。そこ で、1042年には、アルフレッド大王の血を引くエドワード証聖王がイングランド王となります。しかし、国王となる以前は、修道士であったこの王は、結婚はしたものの即位後も修道士の誓いを守り抜いたため、跡継ぎを残しませんでした。そこで、この王が1066年に亡くなると、重臣の息子ハロルドが 王を名乗ったのですが、激しい後継者争いが  起こりました。アルフレッド大王一族との血縁関係があることを根拠にノルウェー王も介入したこの争いを勝ち抜いたのは、北フランス 、ノルマンディーの領主ギョームでした。彼は、1066年のイングランド南部、ヘスティングスの戦いでハロルドを戦死させ、イングランド王ウィリアム1世となりました。このできごとのことをノルマンコンクェストと呼んでいます。この時の戦いの経緯を彩色された刺繍糸で描いたものがバイユーのタペストリーです。

 ウィリアム1世は、フランスの貴族や騎士を重く用いると共に、 土地台帳を作成させたりして、以後の統治の基礎を固めたのでした。

 このようにして、イギリスの歴史は、北海を取り巻く 国の一つとしての歴史から英仏海峡を挟んでフランスなどと向き合う国の一つとしての歴史 へと変貌したのでした。

 次回は、イギリスとフランスの関係を軸に扱っていくことにする見込みです。









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