東海道線の豊橋駅で降り、豊橋鉄道で渥美半島を西に進み、30分ほどの終点の三河田原駅で降ります。駅前から田原城を目指して15分ほど歩きます。
この田原城は、渥美半島支配の拠点として15世紀後半に戸田宗光によって海に接した丘の上に築かれたもので、西の松平氏と東の今川氏の抗争の舞台となりました。その 抗争の中で松平竹千代が戸田氏によって略取され今川氏の元に送られるはずだったのが織田信長の元に送られてしまったというは有名な話なのですが、最近の研究では事実ではない とされているそうです。戸田氏が今川義元によって滅ぼされた後、義元の武将たちが城の主となったのですが、桶狭間の戦いの後は、徳川家康の持ち城となります。家康が関東に転封になった後、吉田城の池田輝政の家老伊木氏の城となったのてすが、城を整備したのは、この時期のようです。江戸時代の初めのころの城主には変動があったのですが、17世紀後半以降は、三宅氏が12000石で城主を世襲しました。三宅氏の家老に文人画家としても有名な渡辺華山がいたことはよく知られていて、城の二の丸跡に設けられた博物館でも 展示の力点は城よりも華山に置かれていたように思えます。
城跡に向かって歩くと、東西二つ池に挟まれて二層の櫓門である桜 門が建っているのを 目にすることができます。この桜門をくぐ った右が三の丸跡、左が二の丸跡、両方の間を進むと本丸跡になります。二の丸と三の丸の間の堀も残っています。二の丸跡には復元された二重で白壁の二の丸櫓が建っているのですが、桜門もこの二の丸櫓も古い写真など からわかる状態を正確に復元したものではなく模擬建築にあたるようです。
本丸跡は、三宅氏を祀る神社となり、周りの土塁も残っています。二の丸跡は、博物館、三の丸跡は神社になっていますが、海に接する城の面影は残っていません 。しかし、渡辺華山にまつわる遺跡など、この町の見どころは豊富だと思います。