織田信長が現在の滋賀県に築かせた安土城は、築城から僅か 数年で焼失した城でありながら、フロイスらの報告を通じてヨーロッパにもその華麗さ壮大さが伝えられた城であり、日本の城の歴史を大きく変えたことで有名です。城の外観や内装については文字資料では伝えられているもののこの城の姿を描いた図面は、伝えられていません。信長が描かせ、天正少年使節団を通じてローマ教皇に献上させた屏風の消息は現在では不明になっています。滋賀県はローマに副知事を派遣し改めて再調査を依頼したのですが、結果はまだわかりません。江戸時代から様々な復元図が作成され、発掘調査も繰り返されているのですが、安土城についての謎は深まっているようです。  

 その中でも、一つの転機となったのが、今回、 取り上げた内藤昌氏による研究です。内藤氏は、金沢藩の池上右平の遺した資料の中に「天主指図」と題する図面が含まれていることを発見します。「天主」と題しているもののどの城なのかを明記していないこの絵図が、安土城の天主を表したものであることを解明した内藤氏が、その考察の過程を明らかにしたものが本書『復元 安土城』(講談社、1994年)で、2006年には、講談社学術文庫に収められています。 その 指図に安土城天主が吹き抜け構造であったことが示唆されていることを、内藤氏は、信長公記などの記録と指図を 突き合わせることで明らかにしています。それは、天主台跡に残されている礎石の状況とも安土城天主をモデルとしているという戦災以前の岡山城天守の状況とも合致していることから、信頼できるものとして受け取られてきたのでした。もっとも、指図が池上右平の創作であるのか、池上家に伝来していた指図そのものであるのかなど、異論の余地は多いのですが 、現在の技術からは抜け落ちてしまった技が指図には、反映されているように思えます。

  安土城だけでなく、信長以降の城についての在り方をめぐる議論 の出発点に本書はなっていると思います。


 






  フロイスに記述の日本語版です。


 『信長公記』の 現代版です。



 三浦正幸氏による新説の提案です。



  ペーパークラフトでの復元 案  。