掛川城は、掛川駅を降りると、真北に向かう道からそびえる復元天守が見える城です。この復元天守は、安政の大地震で大破し撤去されたと伝わる天守を、山内一豊が関ヶ原の戦いの後、新しい領国の支配の象徴として高知城に天守を築いた際に前任地掛川の城の天守をそのままに移したという伝承があることなどを頼りに高知城天守をモデルに木造で再現したものです。天守曲輪も天守台もなく直接 本丸御殿に接続している 高知城天守と同じものを、天守曲輪の天守台の上に建てることを復元と呼んでいいのかという疑問は残るのですが、木造で復元された天守の姿は、見事です。 本丸に他から移築された太鼓櫓も残り、復元された門や発掘の成果を再現する形で復元された本丸を取り巻く形の堀、現在の交通事情への配慮により、位置を移動させた形で復元された大手門、大手門の内部に移された大手門番所、北の丸の明治の実業家の邸宅、古城跡に設けられた徳川家光の墓など、掛川城の周辺に見どころは多いです。しかし、絶対、忘れてはいけないと思えるのは、二の丸御殿です。安政の大地震で崩壊した御殿の代わりに再建され、現在まで保存されている建物であり、国指定の重要文化財になっています。 この御殿は、広間などの儀式空間、小書院などの城主の居住空間、そして役人たちの業務空間のそれぞれがまとまった形で残されているという点で他に例のない貴重なものと思えます。台所にあたる部分が失われていることが惜しまれますが…

完全な形で唯一 残されている高知城本丸御殿には、儀式空間しかなく、その他の御殿でも業務空間はほぼ失われているのです。ですので、掛川城を訪れて二の丸御殿を見ないのは、もったいないと思います。