人新世について、語ろうとする時、避けて通ることのできない日本語で書かれた本を一冊だけあげると すれば、それが、斉藤幸平氏の『人新世の資本論』(集英社新書)であるということに、異論は 少ないと思います。注として、多数の外国語文献を挙げているだけでなく、多数の図表を通じて、説得力を担保している本書は、ベストセラーとなることが当然と思える力を帯びている ように思えます。マルクスが資本論で述べた理論を再生させることを通じて、斉藤氏は、人新世に即した人類共生社会の建設を提唱しています。しかし、マルクスが「宗教は大衆のアヘンである」と断言したことに倣って「SDGsは人民のアヘンである」と斉藤氏が言い切ってしまっていることには、不安 を感じてしまうのです。国連加盟国のすべてが同意したことで成立したSDGsには、経済成長など地球環境の破壊と結び付くことが必然であるものがゴールとされているという矛盾があります。しかし、経済成長を認めなければ、取り残されてしまう人たちを抱えている国も多いのです。 斉藤氏は、グローバルサウスに生きる人たちを苦しめているものが経済成長を もたらした資本主義であることは認めているようです。グローバルサウスの人々も幸福を夢見ることはできるが経済成長は認めないというのは不合理であると 思います。マルクスを含めたヨーロッパの思想家たちが人間の幸福を実現するためには経済成長が不可欠であるとしていた限界を超えるための道筋となるものこそが、ラトゥールが文庫クセジュから出た『脱成長』で説いたことだと思います。 そして、それは斉藤氏が批判の対象として本書で捉えた「脱成長」とは、別の思想であるように思えます。経済成長 によって人類による地球環境の破壊を継続させてしまうSDGsの危うさに批判 的であることでは斉藤氏と ラトゥールは一致しているものの、人類と地球環境を共に破滅から救うために、我々 自身が脱西洋化することの必要性を説くラトゥールの方が、マルクスのを説く斉藤氏よりも説得力を持つように思えるのです。

 マルクスの『資本論』の フランス語版を読み込み資本主義からも経済成長からも離脱した未来のイギリスへの夢を語ったモリスの『ユートピア便り』を含めてマルクスの仲間とは袂を分かった人たちのことに斉藤氏は触れられていないのですが、大加速の時代にマルクスの描いた未来 像の正しさを信じたことによって、日本、中国、インド、インドネシアなどで悲運の最期を遂げた人たちのことを想うと割り切れなさ を感じずにはいられないのです。

 なお、マルクスが作った抜き書きを読み抜くことから、斉藤氏は、新しいマルクス像を提案されているのですが、 マルクス自身が晩年に公表した文章を見る限りでは、それを支持することは難しいように思えます。アレクサンダー・フォン・フンボルト、ゲーテ、ライエル、ダーウィン らの生物学、 地質学などの自然科学に関する作品をマルクス自身が読み込み抜き書きを作ったり、草稿を作ったりしたことが判明しない限りは難しいように思えるのです。