尼崎から福知山線で北に向かい篠山口駅で降り、駅からバスに乗って篠山の城下町を目指します。明治以降に建てられたものと思える東西に連なる町並みを南に抜けると、篠山城があります。

 篠山城は、八上城を廃止して大坂城の豊臣氏の抑えとして、1609年に幕府が藤堂高虎などの大名 を動員して、天下普請で築かせた城です。大坂城包囲網の要とするために、築城を急いだため、この城には天守は築かれませんでした。天守はないものの、捲らされた石垣や水濠の壮大さには心を奪われます。 石垣の下にある犬走りは、藤堂高虎が築城を仕切っていたことの証になっていると思えます。また、石垣で囲まれた東馬出 と土塁造りの南馬出が残されているのもこの城の魅力です。なお、多くの城で学校などの本来は城になかった施設は、城 外に移転させることが近年の流行になっていますが、この城では、三の丸の東部に設けられた学校が、駿府城などと同じように、そのまま残されています。

 しかし、この城で一番、感激させられるのは、二の丸御殿大書院が復元されていることです。明治維新の後、城の他の施設が取り壊しとされた中で、たった一つ残され学校施設などとして利用されていたものの、惜しくも1944年に焼失してしまいました。しかし、市民からの 要望も あって、焼失前についての情報、絵図、発掘調査の結果などを総合して、木造で2000年に復元されたのでした。二条城二の丸の大書院の遠侍と だいたい同じ大きさで8部屋からなるのですが、上段の間の障壁画などについての情報は得られなかったので、江戸時代初期に狩野はが描いた障壁画を転用しているとのことです。

 なお、二の丸御殿に入る文句や二の丸御殿の大書院以外の建物ついては、平面はわかるものの立面がわからないため、平面表示に留められたのだそうです。

 篠山城の他にも、武家屋敷や町屋が春日神社の山鉾巡行とともに残されていて、ホームページ充実している篠山は、訪ね る価値たっぷりと思えます。