人新世について、考えるには、人類による地球環境の破壊が地質学に反映されるほど進むようになったのは、いつごろからなのかということから考える必要があるように思えます。

 人類は地球上に出現して以来、その呼吸によって大気の成分の比率を変え続けています。農林水産業は、人間が生物の様相を変化させることによって成り立っています。人類は地球上の生物の様相を変化させることを行わなければ、生存不可能です。穀物の栽培、家畜の飼育、水棲生物の捕獲、草木の育成は、いずれもそれまでに存在した環境を変えることにつながるのですが、人間による大規模な環境改変が記録に よって確認できるのは、15世紀後半からのいわゆる「大航海時代」のできごとからであるように思えます。コロンが1492年に西インド諸島に到達し、ガマが1498年にインドに到達したことは、ヨーロッパとアジア・アフリカ・両アメリカ大陸の間での人とものの相互の巨大なやりとりを生み出したのでした。両アメリカ大陸のシャカイモ・サツマイモ・トウモロコシなどの作物がヨーロッパやアジアに伝えられたことが多くの人たちの生命をつなぐことにつながる一方、サトウキビや馬と共に病原菌がヨーロッパから両アメリカ大陸に伝わったことは多くの人たちの生命を縮めることに結びついたのでした。日本産の銀が16~17世紀の世界経済を動かす存在となったことも有名です。そして、エリック・ウィリアムズの『資本主義と奴隷制(初版1944年、日本語訳はちくま学芸文庫)や河北稔氏の『砂糖の世界史』(岩波ジュニア新書、1996年)以来、このような世界間の結びつきは議論されてきたのですが、それが環境史という領域で扱われるようになるのは、ジョン・マクニールが『蚊の諸帝国』(2010年)を出版してからのことであるように思えます。また 、この時点からを人新世とみる見方はないように思えます。

 さて、「産業革命」というものがあったのかどうかについては近年、 意見が分かれています。一応、18世紀のイギリスから動力源の機械化や輸送手段の高速化が始まり、それがヨーロッパ諸国だけでなく日本にも伝播することになった 動きを「産業革命」という言葉を使って表しても差し支えないように思えます。ロンドンをはじめとする都市の環境の破壊が世界各地で急激に進行するともに、生産力増強を目指す政策が強引に進められたことが日本の 足尾鉱山鉱毒事件を代表とするような事態を至る所で引き起こしました。植民地拡大を希望する諸国が引き起こした様々な戦争は、大規模な環境破壊も伴うものでした。しかし、人新世 と呼ばれることを必要とする変容が地球全体を覆うことになるのは、20世紀後半のことです。それについては、次回ということにして、今回もいくつか本をpickしておきます。