[図解]長崎の原爆被害



長崎に原爆が投下されて、今日で78年。
今年は台風の接近にともない、平和祈念式典は規模を縮小して行われることになりました。
会場も平和祈念公園ではなく、市内の屋内施設となるようです。



ロシアがウクライナへの軍事侵攻と核による威嚇を続ける中、長崎は今年も核兵器廃絶への決意と「長崎を最後の被爆地に」というメッセージを国内外へ発信します。



長崎で生まれ育ち、戦争や原爆、平和について考える機会は多く、日常のひとコマでした。
幼稚園の頃から被曝者の方に直接お話を聴き、小学校から高校にかけては授業の一環として身近にある被爆遺構を巡り、戦争や平和について議論。
毎月平和集会があり、原爆記念日は登校日でサイレンに合わせて黙祷を捧げていました。



何十回と足を運んだ原爆記念館。
原爆の熱線のため、影しか残らなかった人、11時2分で止まった壁掛け時計、消し炭のように真っ黒に焼け焦げた子どもの遺体の山。
初めて訪れたのは幼稚園の年長でしたが、このような惨状を絶対に繰り返してはならないと本能で感じました。
子ども心には若干トラウマでもありました(・・;)



当時の話を直接聴ける機会は確実に少なくなっています。
終戦から78年、物心つくことを考えると、当時の記憶が残っているのは80歳代半ば以降でしょうか。



被曝者だった祖父母も全員鬼籍に入りました。
自分自身、被曝3世として次世代に語り継いでいくことの重要性と責任を強く感じるこの頃です。



東京では、11時2分になってもサイレンは鳴らず(6日の8時15分も同様です)、いつもの日常が過ぎていきます。