最近、お看取りに当たることが増えてきました。毎年11月から3月くらいは多いですね。

おひとり亡くなると何人か一緒に連れて行ってしまいます。




今日も

「CV自己抜去していました」

「転倒して、頭部から出血しています」

「朝方まで下顎呼吸でしたが、今は呼吸が止まっているみたいなので確認をお願いします」

という報告から勤務スタート。




看護師になって十数年…

仕事柄、人の死に直面する機会は少なくありません。

今は年間350日くらい様々なところで勤務しているので、少なく見積もってもこれまでに100人以上の死を見てきたと思います。




慣れたわけではないし、慣れたいと思ったこともありませんが、以前よりは動揺したり、恐いと思ったりすることもなくなりました。




僕の中では、生と死は最初から接していて、この世に産まれた瞬間に互いに近づきながら重なり合っていくイメージ。

時間の流れと共に、生の部分に死が侵食してくる。スピードを変えながら、時には行ったり来たりしながら。

そして、死が生を全部飲み込んだ時に生を全うし、死が訪れる。




当然ですが、誰一人例外なく死は訪れます。

終わりは誰にも分からない。

1年後かもしれないし、明日かもしれないし、1分後かもしれない。




エンゼルケアをしながら、いつもその人の人生に思いを馳せています。

どんな人生だったんだろう?

満足のいくものだったのか?

後悔ばかりだったのか?

最期の表情にそれが全部集約されているような気がします。




自分だったらどうだろう?

呼吸が止まり、心臓が止まり、視界が狭まり、耳が少しずつ聞こえなくなっていく中で何を思うのだろう?




その時に後悔が生じるのなら、そこから何年か何十年か過去に舞い戻った今の自分は何をすべきか?何ができるか?




大人になると、一般常識やら世間体やらいろいろな柵に縛られ、数々の役割に翻弄されていきます。




親としてどうか、社会人としてどうか、医療人としてどうか…




でも、親の前に、社会人の前に、医療人の前に一個人なんですよね。




自分の人生の主役は、いつも自分。

主導権は常に自分にある。

周りがどう思おうが、何を言われようが、そんな雑音はどうでも良くて。




最も大切なのは自分自身がどう思うか?

自分の奥深くの自分は何と言っているか?

自分が優先したいものは何か?

自分が大切にしたい人は誰か?

限りのある人生に取捨選択は必要だし、その声に、丁寧に丁寧に耳を傾けて導き出した結果は、須く「正解」なのだと思う。

誰よりも大切にしないといけないはずの自分自身に嘘をつくことが最大の悪。

この境地まで到達して、準備を整えたらあとは行動するだけですね。




とか、いろいろと考えを巡らせていたら駅でした^^;