1945年8月9日から74回目のこの日がやってきました。
ここ東京の地では祈念式典が催されることもなければ、サイレンがこだますることもなくいつもと変わらぬ1日が過ぎていきます。
ほとんどの人にとって頭を過ることもないのかもしれない。
被曝者の高齢化が進み、戦争や原爆の歴史がこのまま風化していくことが懸念されます。
僕は長崎の地で生まれ育ち、物心ついた頃から戦争や平和について考える機会に恵まれていたと思います。
今を生きる被曝三世としてできること。
それは、やはり被曝者の声を直接聴くことができる最後の世代である僕たちがその声を次代につなげていくことだろう。
本日11時2分はおそらく子どもたちの食事介助中。
今、通勤電車の中で黙祷を捧げます。
↑インスハート。長崎大学の後輩ユニットです。現役の医師として勤務しながら音楽活動を続けています。一緒にバンドやってたのが懐かしい
良かったらご覧ください。