新年明けましておめでとうございます。
なんですけれど、今年は元日からたいへんな震災や事故が起こり、おめでとうなんていう雰囲気ではありませんでしたよね。
石川県には十数年にわたりやりとりを続けている友人がいます。富山での授賞式には駆けつけてお祝いしてくれました。
心配です。
ですけど、いま安否確認のアクションを起こすことは相手にとっては迷惑以外のなにものでもないのではと思い、連絡は控えさせてもらっています。
なにもできない遠方からの「大丈夫?」って、結局のところ自分が安心できる返事が欲しいだけのような気がして。
実際いまのわたしは、なんの役にも立てません。
もどかしいです。
いろんなことが落ち着いてからでいいので、「元気だよ」って発信してもらえることを、心待ちにしています。
と、世の中がえらいことになっているあいだにも日常は営まれていくわけでして、年末は娘家族と一緒にしゃぶしゃぶをして、年明けは婿殿の実家に顔を出しにいくということで、わたしはひさしぶりに静かに引きこもり正月を迎えていたのでした。
けれど成人の日を含む3連休中に、選考委員をやらせてもらっている地元文学賞の表彰式があり、そのスピーチ原稿を完成させておかないといけなくて、結局みっちりパソコンの前に座って言葉をこねくりまわしておりました。
選評って難しい。
書くだけならまだしも、わたし自身まだ全くもってエラくはないのに、人様の作品について大勢のひとのまえであーだこーだ言わなきゃならない現実の非情さを嘆きつつ、パソコンの前で試しにあーだこーだ言ってるわたしは、傍から見たら相当ヤバかったと思います。
けどまあ、無事に任務完了。
自分の力量をまるごと棚上げしてエラソーなこと言ってきたから、恨まれたり刺されたりするまえに逃げようと、閉会後、関係者各位にいとまを告げ、そそくさと会場を後にしようとしていたらまさかの夫が「便所」と建物内に入っていってしまったので仕方なくロビーの隅っこに身を潜めていたら、受賞者の何人かに見つけられ話しかけられてしまって、でも怒っている様子はなかったのでホッとしました。
しかしやっぱりこの〝文筆業〟っていう肩書きは怪しいですよねぇ。
案の定「具体的にはなにをされているのですか?」と訊かれ、「いや、特になにもしてないです。ちゃんとした肩書きがないからこうなってしまっただけなんです」と、怪しさの上書きでしかないような返答をするハメになりました。
こんなわたしに作品を評価されるなんて、嫌だろうなぁ。
だけど、だからこそ、わたしが受ける側だったときの立場に戻ったきもちで、素直に正直に、選評というよりは感想に近かったですけれど、しかもほとんど顔も上げずに持参した原稿をかぶりつきで読んできただけなんですけど、「ていねいに評価してもらえてうれしかったです」なんて言ってもらって、こっちのほうこそうれしかったです。
早くどっかでちゃんとした肩書きをくっつけられるよう、頑張ります。
ところで時間を巻き戻して年末のことですが、ひと山登っておこうと計画立てていたのに想定外のインフルエンザ大感染。
まず婿殿が発熱して、幸いインフルは陰性だったのに翌日にはコウちゃんも発熱して、これがまさかの陽性でして、その翌日には娘も同様にダウンし、さらに2日後、今度はわたしら夫婦が揃って感染と、一族総倒れとなってしまっておりました。
若干の時差があったことだけが救いだったかな。
わたしが熱出したときにはコウちゃんはもう下がってて、娘もなんとか動ける状態になっていたから、わたしら老夫婦だけで静かに引きこもってました。
幸いうちは食材1週間分買い込み型なので(西の方の練り物夫婦宅のような)食糧難に陥ることはなかったです。
が、ふたり同時に寝込むと、結局動かないといけないのはわたしであるからして、39度越えの発熱ながらも洗濯物干して、ごはんの準備をするハメになり、ひたすら眠り続けている(そうして起きたらごはんができているという幸せ者の)夫に,今年こそ家事スキルを身につけてもらうぞ! と眼力に願いを込め突き刺してみるも暖簾に腕押し、糠に釘。
結局、いまさら夫改革をするほどの気力も体力も忍耐力も持ち合わせてはいないことに気づかされただけでした。
ということで山には登れないまま年越し。
今に至っております。
でも、そんなこと悔しがってる平和さをありがたいと思わないといけないですよね。
いきなり生活の全てが根こそぎひっくり返ってしまうような出来事が起こることもあるのだから。
だからって、なにかできることなんて思いつけないですけど、今現在たいへんな目に遭ってがんばってらっしゃるひとたちの姿からしっかりと学ばせてもらって、誰にでも起こりうるだろう有事の際には落ち着いて行動できるようにと、その心構えだけは備えておきたいです。