3日目  土佐久礼「ゲストハウス恵」~ そえみみず遍路道経由「「七子峠」~ 「ゲストハウス40010(四万十)」

    

 

 3日目の朝、両足の裏側、親指の付け根付近に立ち上がると痛みを感じるようになっていた。

 

 初日にほぼ一日雨の中を歩き、昨日午後も峠道を登るころから雨、2日続けて靴の中は湿気を帯びていた。ふやけた足裏にマメができ、立ち上がると体重で圧迫され痛みが出る。

 昨夜、用意していた針で小さなうちにマメをつぶしてしまおうと表面に2か所の穴を空け、溜まっていた体液を絞り出し包帯で覆っていた。が、寝ている間に自然治癒力が働き、穴がふさがり元の大きさに膨らんでしまった。本当はじっとしていれば回復は早いのだろうが歩き遍路から歩きを引くと修行でも何でもない、という妙なプライドが歩き続けさせていた。

 しかし、実際問題として身体が動かなければ移動はできない。最悪の場合、先々予約してある宿をキャンセルしなければならなくなる。よし、この数日足の様子を見て計画を考え直そう、と思った。

 

この3日目も朝から雨となった。しかし幸いなことにこの日の工程は今回のお遍路中で最も短い距離、18Kmを予定していた。いつも通りのペースで歩くと昼頃には到着してしまう距離で、この距離なら今日は我慢して歩こうと自分に言い聞かせた。

 

 実はこの3日目は37番目岩本寺を参拝し宿坊に泊まるつもりでいたが、電話してみると予約で一杯、おそらく近くの宿はどこもそうでしょうという返事だった。不思議に思い理由を尋ねるとこの3月26日に桜祭りマラソン大会が地元で数年ぶりに開催され全国のランナーが押し寄せ岩本寺宿坊はだいぶ前からマラソン関係者によって押さえられていたのだという。

 近くの数軒の旅館に電話してみたが同じ返答しか返ってこなかった。手前のゲストハウスにだけ空きがあり予約していたのだった。

 

 レインウェアーの上に白のポンチョを被り雨対策万全の態勢で土佐久礼のゲストハウス惠を出発した。今日のコースで難関なのは「添蚯蚓・遍路道」という妙な名の遍路道だった。この遍路道、何と読むかというと「そえみみず・へんろみち」と読むようだ。

 最初「そえみみず」と聞いてもピンとこず、地名なのか何と読むのか判らなかったが「ミミズがのたうつような形をした遍路道」という意味のようだ。「焼坂」といい「ミミズ」といい妙な名前づいている地域だ。

 

 国道を横断したところにコンビニがあったので昨日の反省からリュックに2本のペットボトルを入れた。2本で1リットル、つまりリュックは1Kg重くなる。他に食料としておにぎり2個と非常用のパン1個。そのほかリュックには飴や煎餅、チョコレートが入っている。今日は大丈夫だ。

 四国は国道を外れると実に交通量が少なくなる。遍路道になるとほとんど人も見かけなくなる。30分も歩いた頃にアスファルト道路から左に分岐する遍路印があり山に向かって進んでいく。いよいよミミズ道に突入だ。

 さてここからです、という場所に比較的新しい休憩所が建っていて個人の寄付による休憩所だった。

      

この遍路道には整備された階段が山の上に向かって100段以上伸びているが、登り切ってみると今度は同じくらい下る階段になっている。近辺に自動車専用道路が出来たため自動車道を優先、本来の遍路道の方が遠慮して迂回することになった、というところだ。

 しかし上る身になれば一旦せっかく上がって来たのにまた下るのか、という心理的落胆を伴うことになる。

     

 囚人を懲らしめるため一日じゅう穴を掘らせ、掘り終わったらまた埋め戻させる作業があると聞いた事がある。それに似ている。階段を上ったら下って、終わったと思ったらまた山に向かって登るのだ。しかしこれが歩き遍路、修行というものだ。楽をしに来ているのではない----と、たいそうなことを自分に言い聞かせるが、やはり疲れるのは疲れる。自動車道を走っている車を階段からはまじかに見られ、走っている車からも遍路を見られるだろう。   

 

            

再度階段を上ると、それ以後は特に大きなアップダウンは無くなった。

 しかしこの日も一向に雨は止まず、足裏は上り下りの数百段からなるダメージが加わって痛みを増し始めていた。マメの膨らみが広がり、特に左足は木の根の出っ張りを踏むと痛みが下から突き上げるようになった。早く水を抜かなければマメが広がるばかりだ。何処か雨の掛からないところで穴を開け一刻も早く水を抜かなければ、と思うが座れる場所も雨を凌げる場所もない。

 後半になってこの遍路道で最高度の409mを上り切ったころから平らになったが山の尾根道を歩いているようだった、我慢して歩いているうち足の痛み感覚がマヒし始めた。人間は何にでも適応する動物だ。痛みにさえ慣れるのだ。-----そうだ、前に歩き遍路をやった時もそうだったな、と思い出した。

 

 地図によるとこの「そえミミズ遍路道」は最後に七子峠の舗装道路に到達するはずで、さっきから左側に時折車の音が聞こえ始めていた。尾根道は馬の背の道になり下って行くのが判った。延々と細かな雨は降り続き1人も歩き遍路は見かけない。

 

 

 大昔の遍路道など誰も好んで歩かないのだろうか?結局は昼まで誰一人として見かけなかった。

昼12時過ぎになってやっと遍路地図にある七子峠の「床鍋」バス停に到着したが周囲に開いている店は一軒もない。人影もない。さびれた公衆トイレがあり自販機が目に付いたのでペットボトルを補給し廃業したガソリンスタンドの軒下に座りおにぎりを食べた。周囲には雨に加えて靄がかかり景色は白濁してぼんやり映るだけだった。

      

 昼食を済ませると念のためスマホのナビで方向を確かめ遍路道を進んだ。平地に降りると路面は平らになり凸凹が無いだけでも救いだった。山の裾野、農家の点在する地域へと遍路マークは案内し畦道や小川沿いの小道へと誘った。

 ある場所ではイノシシ除けの柵が前方をふさぎ、土地の住民皆がそうするように、お遍路さんも柵の中に入る時には自分でカギを開け入ったら閉めるよう指示が書かれていた。

      

お遍路も住民もイノシシの前に隔たりはなかった。

 

この日の宿「ゲストハウス10010(しまんと)」さんのオーナーからは

「到着する30分前に電話をください。家の鍵を開けに行きますから」と念押しされていた。そしてコンビニは近くにないので手前にある地元スーパーで食べるものを買った方が良いというアドバイスも受けていた。

JR土讃線「仁井田」駅近くのスーパーピゴットという店からオーナーにスーパーに着いたと電話をし

「これから食料品を買ってから行きますから30分後に着くと思います」と通話を終え店に入ると中はただならぬ混雑ぶりであった。理由は明日がこの店の営業最終日、つまり閉店前セールの真っ最中であった。食べたかった刺身やサラダ、弁当の他朝食のおにぎりやビールを買うとそれも2割引きの対象になった。

 

 予備に用意していた折りたたみリュックに食料品を詰め込み、雨の中を再び歩き出した。数分間歩かないでいると身体が冷えるため最初の数歩に足裏が激しく痛んだ。しかし3分も歩くと痛みがマヒゆっくりとだが歩けるようになっていた。足の裏がどんな状態になっているのか想像するのも恐ろしかった。

 ここのゲストハウスは前にユーチューブで確認していたので仁井田小学校脇の一隅にあるはずだった。到着して玄関に立ってノックをすると返事はなく、早く着いてしまったようで庭に佇んでいると数分してオーナーの車が到着した。一階建て平屋、ごく普通の民家である。

 オーナーの女の人は30歳代で経営している料理屋さんが岩本寺の近くにあるらしく掛け持ちでゲストハウスも営んでいるとのことだった。今日の客は私の他にオーストラリア人が一名、マラソン大会関係者が数人一部屋、それぞれ相部屋ではないというのでほっとした。傷んだ足裏を診るのも、治療するのも自分だけで沢山だ。他人にマメの潰れた傷等見させたくない、と安心した。

 

 午後の4時過ぎで、外はまだ明るかったが一番で風呂に湯を張り体を洗う準備をした。オーナーと誰かの話し声がして居間に出てみるとオーストラリアの男性が大きなリュックを担いでやってきたところだった。このゲストハウスには何年も前から何回か泊まっているらしく親しげだ。日本語が流暢で聞くと奥さんが日本人、住んでいるのはオーストラリアで成人した男の子二人の父親でもあるという。私は先に風呂に入り済んだらお湯は抜いておく旨を伝えた。足裏の傷を洗ったお湯を次の人に使わせることは出来ない、それがマナーというものだ。

 部屋は2段ベッドのある洋風の6畳の広さだった。一段目の空間に荷物を広げ上段で寝ることにした。

 風呂から上がると部屋の明かりを全部点けて両足の裏を調べた。石鹼の泡でそっとなでるように傷口を洗い、何度もお湯をかけ流していたので傷口は清潔な筈、と胡坐(あぐら)を組んで右、左と足裏を調べると右側は一か所だけマメが朝よりやや大きくなっていた程度だった。問題は左の足裏で親指の根元から中指の根元にかけ縦3Cm横に6Cmの一面が体液をいっぱい貯め膨らんでいた。ここが遍路道で木の根元を踏み悲鳴を上げていた箇所だと思った。正常な足の裏ではない、凄惨、の一言だった。

 

 とにかく水を抜かなければ皮膚が乾燥しないし回復もしない、放っておけば膨らむ一方だ、と床の間にティッシュペーパーを何枚も重ね広げ、患部の皮を持ちあげ、この広さでは今までのように2か所の穴だけでは汁が出切らないだろう、と5か所、6カ所と針で貫くとタラ-リと透明な体液が穴から流れ出た。全部出し切らないとまた溜まるだけだ、と傷口を押すと痛みに思わず顔をしかめた。この自己治療の時の私の精神状態は「鬼」そのものだった。

 痛いなんて騒ぐんじゃない。こうしなければならないのだ。治すためには耐えなけれならない。「MUST」の世界であり義務の世界であった。感情論や弱音は論外であった。不動明王が背後に乗り移っていた。痛みは傷口を押している数秒から数十秒で、それが終わればひと波が去る。

 右足裏も治療し、それぞれの針であけた穴から赤チンを綿棒に浸み込ませ流し込んだ。よく見ると左右の中指の爪もグラグラと剝がれそうになっていた。剥がれるのは時間の問題だ。傷口に更に抗生物質の入った薬を塗り包帯でぐるりと巻くと粘着テープで止めた。これ以上の治療はないだろう。あとは黴菌が入って化膿しないことを祈るだけだ。

 

 床を歩くと新たな痛みが傷口に響いた。足裏が付けられず踵(かかと)だけで室内を歩くことになった。寝ている間に傷が少しでも回復するのを祈るしかなかった。

 

 夕食はゲストが共有の食堂で摂ることにして買ってきたビールや弁当を広げた。マラソンスタッフは明日の打ち合わせのために遅くなって入室するらしい。

 オーストラリアの男性も夕食の準備で、持参したアルミの鍋焼きうどんをガス台で煮立て更にカツライス弁当をチンすると私と向かい合って食べ始めた。ビールを傾けながら聞くと、何と明日のマラソン大会のフルに出場するのだという。昨日迄お遍路で高知県内を歩いていて明日の大会の為に松山でお遍路を中断し今日この宿に泊まったのだという。

 50歳ながら若々しく何でもやってみようという精神に驚かされた。私も若いころ船員だった3年間があり、船に乗って東南アジアの11か国を回った話をするとそこから話が弾み、仕事の話、オーストラリアの話、と話題が広がった。名前はSAMさんといい現在の仕事はオーストラリアで企業向け日本語×英語の翻訳をしているといったが愉快な1時間だった。

 

 

 

 

 一人で歩き遍路をしているといろいろな場所でほかの見知らぬ人と一緒の時を過ごす事が多い。歩きお遍路の一つの特徴と言える。団体遍路ツアー、自家用車遍路ではおそらくそういった交流は少ないのでは、と思う。

 

(詳細は自主規制)

  

 

この夜、痛みに何度か目が覚め、その都度に溜まった水を押し出した。そうしないと明日は歩けないかもしれない気がした。朝、どうなっているだろうか?雨が降らなければいいが、と何度も目が覚めた。

 

 この日の歩数 29812歩 距離22.54Km  歩いた時間 6時間30分