コロナウィルスが日本に蔓延する前の年、2019年の4月、私は4度目の四国遍路に出発した。夜に新宿を出発した高速バスは翌朝には順調に徳島駅前に到着していた。
朝7時過ぎに徳島駅で電車に乗り「坂東駅」へ向かった。2週間という期間の区切り遍路旅の始まりだった。一番「霊山寺」から白衣を羽織ると、晴天の四国路を歩き始めた。
その昼、私は4番目「大日寺」に向かう雑草に覆われた遍路路を歩いていた。地図では遍路道沿いに1軒「うどん屋」がポツンとあり、その店は数百メートル内に見えてくる筈だった。時計は昼12時を回り、朝から歩き続けていた私は腹がすいていた。
予定のうどん屋付近に差し掛かったが店は見つからなかった。看板を掲げてない店もある。しかし地図を見るとこの辺だが、ひょっとして定休日か?と歩いていると目の前に女遍路の後ろ姿が見えた。きょろきょろしている後ろ姿から、私と同じく店を探していると思い後ろから声を掛けた。
「----うどん屋さん探しているんですか?」
すると戸惑った様子で女遍路さんは振り向き
「----ええっ、さっきから探しているんですが----ないですね----」
苦笑いの顔を向けた。女遍路は私と同じくらいの年齢に見えた。若くはないが老人でもない。私と同じような60歳代に見える。歩調がゆっくりの人なので隣に並んで歩く形になった。
「----地図に載っていても廃業しているかもしれません。そんな店、四国に多いんです」
最新地図は2、3年ごとに訂正されるがその間にも後継者不足で廃業する宿や食堂が多い。
「----お寺に何か食べもの売っていますかね?」
と聞かれるが食堂のある寺、食べ物の置いてある寺は記憶になかった。この先「大日寺」の2Km前後は何も店がなかったはずだ。
-----私は30分前、通りかかったコンビニでこんなこともあろうかと念のためおにぎりと菓子パンを買っていた。
パンを1つとり出すと彼女に
「----これは私からのお接待です。この先、1時間コンビニも何もないからよかったら食べてください。おにぎりも余分にあります。さっ、どうぞ」
と勧めた。女遍路はあわてて手を振り
「いえ、いえ、とんでもない。おなかも空いていないし大丈夫です」
と恐縮して断るのだが、うどん屋をきょろきょろ探している姿を私は後ろから見ていた。
「----四国ではお遍路さんは接待があったら断らずに受けるのが礼儀なんですよ」
と先輩顔して諭すように言った。そうでも言わないと受け取らないと思った。すると彼女は、そうですか、申し訳ないです、とすまなそうに受け取るのだった。
「----歩き遍路は車に乗りませんかと言う接待は断ってもいいんです。でも、ほかの接待は受けるべしと言われているんですよ」
と付け加えた。----どうも還暦を過ぎると余計なことまで言うようになってしまう。
まもなく、三方に分岐するお地蔵さんのある丁字路に差し掛かると、腰を下ろせる石段があった。お地蔵さんの隣に腰を下ろすと私はおにぎりを取り出し、ここで食べておきましょうと食事を勧め、彼女は私に倣い隣に座るとパンを食べ始めた。
「---実は私、今日がお遍路の初めての日なんです」
と彼女は自分のことを話し始めた。
彼女は関東の千葉県から来たと言った。母親が昨年亡くなり、飼っていた犬も今年死に両方の供養をしたくてお遍路にやってきたのだと言う。
私は女遍路さんの年齢が近いような気がして
「私はこの3月に67歳になったばかりです」
と自己紹介した。すると彼女はにっこり笑って
「あら、同じ齢ですね。2月生まれなので私が1か月お姉さんになります」
年齢が判ると気安さが生まれ、話が弾むようになった。
どこからきたのかと尋ねられたので
「----私は茨城県からです。あなたの住んでいる千葉県の隣ですよ」
と言うと、彼女は一瞬じっと私の顔を覗き込み口をつぐんだ。突然向けられた探るような視線と途切れた沈黙が気になった。急に黙りこくって何だろ。
二人の会話が聞こえたのだろう、近くの家から奥さんが塀越しに顔をのぞかせるとこちらに近づいて来た。
「あのーぅ」
と遠慮がちに話し掛けてきた。
「そこでは暑いでしょう?----よかったら家の中で休んでいきませんか?」
と親切に声を掛けに来てくれた。朝から歩き続け脚もくたびれかけていた。
「接待は受けるべしと言われていますからお言葉に甘えましょうか」
石段に腰かけていた私は立ちあがると
「ご親切にありがとうございます。よろしいんですか?」
と、好意に甘えることにした。そして女遍路にも
「一緒にちょっと休ませてもらいましょう」
と誘い、声をかけてくれた奥さんの背中に従った。
広い敷地内に家があり奥さん以外は誰もいない様子だった。玄関の上がり間口に腰を下ろさせてもらうと、脚の疲れが遠ざかる気がした。きれいに掃除され整頓されている家だった。お茶菓子が大きなお盆に山になって玄関に運ばれ、温かい生姜湯も用意された。生姜湯は疲れた身体に浸み込み、お茶菓子は空腹だった小腹を満たしてくれた。
3番霊場「金泉寺」と4番「大日寺」の間には番外の小さな寺「愛染院」がありすぐ隣にうどん屋があったはずだが
「さっき通ったらお店がなかったんですが、どうしたんですかね」
と不思議になって訊ねた。
「うどん屋のご亭主、昨年亡くなったんですよ」
一人で営業していたので後継者もなく閉店になったという返事で、なるほどいくら探しても見つからないわけだと納得がいった。
奥さんが席を外した時、不意に女遍路は黙っていては申し訳ないと言った口調で、
「---私は結婚して今は千葉県に住んでいますけど、実は私も生まれは茨城県なのです----」
正直な人柄がその告白で感じられた。しかし、私がどんな反応をするか確かめるような話し方で、違和感を覚えた。
「そうなんですか、私は茨城県の潮来市ですよ」
私は何の気なしに住んでいる町を言った。すると彼女は一瞬ごくりとつばを飲み込み、又黙りこんだ。
「お宅はどこなんです?」と続けたが、しかし途端に女遍路は目をそらし
「いや、御免なさい、言えないんです。ちょっと訳があって」
と再び口をつぐむのだった。
なぜ頑なに自分の身上を隠すのだろう?不思議でならなかった。
「北の方ですか?----日立とか大子の方とか?」と誘い水をかけても首を振って答えようとしない。なんだかこの女遍路は出生地の話になると変な反応をする、と不思議になった。茨城県に関する話をすると途端に黙り込むのだ。
出生の秘密を隠そうとする何か曇った表情だった。家の奥さんとの雑談中も、一人だけ何かしら上の空でしばらく逡巡している様子だった。
(写真・女遍路さんだけ目隠しさせてもらっています)
ご接待に感謝を述べ、その家の奥さんの見送りを受けると記念の写真を撮り、二人でまた照り付ける日差しの中を歩き出した。
周囲は人家の絶えた畑の中を進むひなびた山道、遍路道になっていた。歩きだすと突然彼女は
「自分のことをいつまでも隠していて申し訳ない」
と前置きすると
「実は----私の生まれは牛堀町なのです」と話し出した。
昭和が終わり平成になると1995年『平成の大合併』でいくつもの市町村が合併し市に昇格した。牛堀町も例外ではなく隣の潮来町に吸収合併され新しく「潮来市」になったのだった。
「えっ、それなら同郷じゃないですか!」
私はその偶然に驚いた。
そしてこの時になって彼女が時々黙り込んで私をじっと見る理由が判ってきた。同じ年齢なのでひょっとして昔の同窓生かもしれない、自分を知っているのでは?私の顔に昔の同級生の面影を探していたのだ。胸にずっとたまっていたものがあったように、彼女は重い口を開き始めた。
------彼女には弟がいた。しかしある年、その弟が大きく新聞に載る事件を起こしてしまい、それ以来家族は離散し今では故郷には誰も住んでいないという。「茨城県」と言うたび「潮来」と言うたびに口をつぐんだのは弟の起こした事件のせいだった。同じ町の人だったら私のことを知っているかしれない、同窓生なら判ってしまう、と弟の親族として心に負い目を感じていたのだった。
事件の内容について彼女は話さなかった。私もそれ以上聞き出すつもりは無かった。私も彼女も二人とも当時は合併前の違う町に住み、高校も互いに違う学校に進んだため彼女とはまったく接点はなかった。この日が初対面だったことになる。
-----たぶん彼女も知っているだろうと思って、私は高校時代一緒のクラスにいた彼女の町の同窓生の名を挙げてみた。
「〇〇子さんは2年前に亡くなったんですよ」
というと、その顔の特徴まで言い当て「〇○ちゃん、死んだんですか?」子供の頃の遊び友達だったと言い驚きの声を上げた。他に○○さんと△△君も同じクラスだった、と言うと一人一人顔を思い出すようにその都度にコクリとうなづくのだった。
しかし、こんな遠くの四国の土地で、まるで打ち合わせたように同じ時刻に同じ道を同郷の男女が遍路道を歩いていたとは何とも偶然な出会いだろうと思った。
---この話には後日談がある。
お遍路から戻った数日後、高校の時の同窓生を私は訪ねた。彼は旧牛堀町出身で今では手広く不動産屋を営んでいる男だった。
「----偶然、四国の遍路道で女の人に会ってね。その人、牛堀町の出身だと言ってたが俺たちと同じ齢みたいだ。-----この人知ってる?」
私は彼女に会った経緯を話し、女遍路とお寺で別れ際に交換していた納め札を見せた。そこには千葉市の住所と彼女の名前が書いてあった。
すると彼は、土地売買の専門家らしく地番地図を持ち出しさっとページを開くと地図の一点を指さし
「○○ちゃんの家はここだ、---俺の幼なじみだよ」
と詳細を話し始めた。なんと彼の家から女遍路の家までは50mと離れていなかった。彼は地元の情報通らしくその女遍路さんについて詳しく教えてくれた。
----お遍路ですれ違った女の人には弟さんがいたという。詳しい経緯は判らないが弟は地元に住んでいたある日、奥さんを殺し自分も自殺したのだという。その事件は地方版の新聞一面に大きく載り、平々凡々たる田舎の町でセンセーショナルな話題になった。以来その家族一同は消息不明になり建っていた家も今では更地になっているという。
彼女は亡くなった母と愛犬の冥福を祈るため為お遍路に来たと私に言っていたが、彼女のお遍路はきっとそれだけではなかっただろう。弟の贖罪と冥福も願っての巡礼だったのだろう。
四国のお遍路を歩く人には様々な動機と思いがあるものだ。それにしても私はなぜこんなにいろいろな偶然や不思議な縁とすれ違うのだろう、そう思わずにいられなかった。