四国遍路道を歩いていると、時々実に妙な体験をするものだった。信じようが信じまいが、今から述べることも2019年に実際に体験したことである。

 

自転車、歩き、オートバイと3つの方法で四国遍路旅を経験していた私は2019年の4回目の遍路では歩き遍路を選び31番「竹林寺」へと向かっていた。

前日まで1番「霊山寺」から始まり13日間歩いていた。今日14日目で区切りをつけ帰る予定だった。

その年の春のお遍路を私は「区切り打ち」にしていた。区切り打ちとは四国をいくつかのブロックに分け、一定のところで中断し日を置いてから再び同じ場所に戻って遍路を続ける廻り方を指す。寺の数で区切る人もいるし、県単位で区切る人もいる。私は2週間で行けるところまで、と2週間の区切り打ちにしていた。

 一人娘が嫁ぎ今では夫婦二人だけで、留守中万が一という事もあり妻と話した結果、2週間だけの遍路に出たのだった。

 

           

 

14日目のことだった。朝の8時前に「竹林寺」に着くと数十段の石段を私は上り始めていた。----その石段の中頃で参拝を終えた一人のお遍路とすれ違う形になり私は何気なくその下りてくる姿を見あげた。早朝のために前にも後にも他に人は誰もいなかった。

降りてくるお遍路は実に立派な杖を携えていた。蔦(つる)の太い枝を切り加工をほどこした特製の杖で、彼の背丈ほどの長さだった。今までそんな立派な杖を持ったお遍路にはお目にかかったことがなかったので、すれ違う時に

「いや、立派な杖ですね。お手製ですか?」

思わず声が出た。

そのお遍路さんは私の呼びかけに応ずるように立ち止まるとその杖を見せてくれた。大木に巻き付いていた蔦(つる)を剥ぎ取り杖に加工したに違いない代物だった。自然の曲がり具合といびつさが迫力のある杖と化していた。お遍路さんの顔が菅笠の下でニコリとうなずいていた。よく見るとかぶっている菅笠も一般のお遍路が使う笠よりだいぶ大きい。

見せて頂いた礼を述べすれ違おうとした瞬間

「うんっ?」

私は思わずその被っている菅笠を見た。菅笠の表面は何か塗料がはげ落ち残滓が表面に染みているように映った。一般に菅笠に色を塗る遍路はまずいないのに妙な笠だな、と。

------4年前に歩き遍路をしていた時、私は遍路道の途中で一人だけだが菅笠を金色に塗っている人を見ていた。4年経てばその色もはげ落ちていて不思議ではない。------ひょっとして、いやまさか、------4年前にすれちがったあのお遍路さんでは?

 

突然に4年前のお遍路さんの記憶がよみがえっていた。

そのお遍路さんは愛媛県の山奥、鵯田峠(ひえたとうげ)を通った時に鍬 (くわ)を手に一人黙々と遍路道を整備していた方だった。鵯田峠は車の通れない文字通り昔からの山道であり獣道で、そのお遍路さんは流れ落ちる雨で遍路道が崩れないよう、地面に斜めに鍬で切れ目を入れ、雨水が道路わきに逃れるよう遍路道を修繕していたのだった。峠の周囲数キロに人家は無くこんな辺鄙なところを通るのは歩き遍路か、または猿かイノシシくらいの道だった。

「---こんな山奥まで来て、歩き遍路のため作業して頂いているんですか?」

感心し立ち止まり思わず私はねぎらったのだった。

「大変ですねこんなところで。ありがとうございます」そして

「お名前は何と言うんですか」と尋ねた。

彼は作業していた手を休めると、ポツリと

「----遍路のミヤマと言います」とだけ答え、笑みを浮かべ作業を続けたのだった。

 

         

 

峠を下りながら、偉い人がいるものだ。誰にも頼まれず誰にも感謝されず、お遍路さんの足元の安全ため陰になって奉仕している人がいる、と感激し感謝したのだった。

数時間後に峠を下り44番「大寶寺」に私はやっとの思いでたどり着いたのだった。

----その時のお遍路さんをふいに思い出していた。

遍路のミヤマです、と胸を張って名乗る立派な人がいたものだ。彼の頭上には金色の菅笠があった。

 

----あの4年前のお遍路さんじゃないのか。いやまさか。4年前すれ違った人とこんなところでまた会うなんて、あり得ない----。

 

----「竹林寺」への石段の上で数秒間、私の思考は止まった。

あり得ない話なのだ。ずっと歩き続ける遍路が今の時代もいるなんて。---選りによってその人とこんな石段で4年経って再会するなんて。いや、奇跡でもこんな偶然は起こらない。

 

意を決すると、私は石段を下りて行く遍路の背中を大きな声で呼び止めた。

「すいません。---あの、失礼ですが」

私の声にお遍路は立ち止まり---言葉を続けた。

「あの、----お名前を尋ねてもよろしいでしょうか?」と。

確認したかった。そんなわけがない、違う人だろう。

すると彼は、片手で菅笠を持ちあげ私を見上げると

「お遍路の-----ミヤマと言います」

と、菅笠の下で柔和な微笑みを浮かべた。

-----途端に鳥肌が立った。あの時の人だ! あのお遍路さん! 同じ名前! 

私は興奮していた。あり得ない人に会ったのだ。

思わず早口で私は、4年前「鵯田峠」で会ったことを話した。金色の菅笠だったこと、鍬で誰もいない山道を修繕されていたこと、その脇を通り過ぎたこと。---話しながらそんな馬鹿な、と興奮が体を駆け巡った。

----私の話を聞くと、彼はコクリとうなずき踵を返すと背中を向け石段を降りて行った。----まぎれもなく4年前すれ違ったお遍路さんだった。こんな偶然があるのか?----- あのお遍路さん、何者だ?----これは何なのだ?

絶句しながらお遍路さんを見送り、ハッと正気に戻ると私はその遠ざかる後姿をカメラに収めた。                             

                  

 弘法大師は今も四国を歩いているという伝説がある。---誰に私は会ったのだろう?