合格通知
一週間が経った昼前、机の上に置いたスマートフォンが鳴り、胸がどきりとした。退職以来、めったに電話はかかって来ない。電話は入院内定の連絡だった。3名の補欠ではなく12名の内定者の一人だった。血圧や持病で不適格者が多かったのだろうか26人中の12名に入ったのだ。
「内定を受けていただけますか」という女性の声に
「はい、大丈夫です」と返答すると一週間待っていたやきもきがすっと消えるのだった。
 
外出先から戻った妻に知らせると、妻は私が確実に選ばれると予想していたのだろう、別に驚いた様子でなく笑顔で「やっぱり決まったの」とうなずいた。
よかった、選ばれたのだ、という安心感が広がった。そうと決まれば、と午後は入院に備え電気シェーバーを買いに行き、というのも入院中は剃刀の持ち込みが禁止で電気シェーバーだけが許されていたのだ。入院のために買い揃えた物はそれだけだった。
夕暮れ前、1か月ぶりにバイクを車庫から引っ張り出すとバッテリーが留守の間に上がらないよう用もないのに付近を走った。カレンダーは4月になっていて正面からまともにぶつかってくる風は冷たくはなかった。
自宅に戻ると、庭の雑草をできる限りむしり取り片隅に集めた。4月から5月にかけて留守にすると帰ってくる頃には草木は見違えるほど伸びているだろう、と庭の掃除に力が入った。
入院初日は朝から2食抜きで空腹になる、とその晩は寿司を食べに行き、二人向き合って食べたが二人で合計20皿近く食べたところで満腹になった。食いだめのできない年齢になっていた。それが入院前の食べおさめだった。
 
入院初日
入院初日の集合は午後で、朝から食事抜きでいたため病院に着くとひどく空腹だった。この日、スーツケースやバッグを抱えた65歳以上の男達15名が集まり初めて病室に案内された。
ベッドが整然と並んだ部屋を「病室」と言っていいのだろうか。少なくともここに来ている人たちは健康体の集まりで病気ではない。我々は健康でここにボランティアで治験のため来ているので「治験室」といったほうが正しいのかもしれない。
 
「治験室」の部屋は幅8m,奥行きが30mほどの細長いスペースで、壁側と窓側とに通路を挟んでベッドが向い合せに並んでいる。数えてみると24のベッドがあった。ベッドの上をカーテンレールが囲み、夜にはプライバシーが保たれる。
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ベッドは電動になっていて背中部分を起こすことができるが、脚を延ばした姿勢で座っていると腰が痛くなりベッドは寝るためのものだと知らされた。
この細長い空間とは別に片隅にドアを挟んで談話室があった。10畳程度の部屋で、壁際にテレビが置かれその前にテーブルと椅子がある。椅子の数は少なく全員が集まるには狭い空間だ。談話室に入りきれない治験者はベッドで過ごすことになる。
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 ベッドを挟んだ通路だけが歩ける空間で、試しに数えてみると端から端まで42歩あった。ここで20日余りを暮らすことになるのだ。
大部屋の隣には洗面所とシャワー個室が3か所設けられていた。その隣には壁を隔ててトイレがあり洋式トイレが4基備わっていた。
室内には数メートルごとに送風機が天を向いて風を送り出し天井から吹き降ろしてくるエアコンの風を掻き混ぜている。空気清浄機と加湿器は数メートルごとに設置されていて室内の温度と湿度を一定に管理し、壁に貼られた室温管理表によると室内温度は22度~27度、湿気は50%以下に保たれる決まりらしい。この空間にいる限り暑さ寒さで体調が悪くなることはない。
治験者の気分転換は窓から眺められる景色にあったが、しかし窓は最初から開閉ができない構造になっていて4階大部屋から見下ろす光景の半分は隣接した墓地だった。遠くに高層ビルディングやマンションがうかがえるが窓ガラスに遮られ音もなく背景画を眺めているようだった。
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室内には本棚もあり漫画中心の娯楽本が多くあるのだが参加者の年代には関心の無い内容ばかりで手にする人は少なく、気晴らしに乏しい環境であった。
部屋の外へ通じるドアは職員の持つ磁気カードでのみ開閉され、それを持たない治験者は当然のことながらこの空間からは外に出られないのだった。
 
「籠の中の『鳥』になってしまったみたいですね」
隣の治験者に言うと、頭髪の真っ白な70歳代の治験者はニコッと微笑み
「鳥より、檻の中の熊みたい」
ハハハッ、と自嘲した。
「窓も開かない。隔離患者みたい。」
そう言うと何度か参加しているベテランさんが親切に説明してくれた。
「窓を開けると花粉が入るでしょ、だから密閉部屋なんですよ。湿度から温度まで完全管理です」
両端の壁際に給水機が設置され、水道水は飲まずにその純粋な水だけを飲むように指示される。水道水は歯磨きと洗面、髭剃り、手洗いだけに使用し治験者は純粋な水だけ飲んで過ごすのだ。
入院患者用の前開きの病衣が配られ着替えると身につけていたものはすべてロッカーに片付ける。足元も靴ではなく各自の持ってきたスリッパでの生活になる。全員が同じ服装、同じ飯を食べ番号で呼ばれまるで囚人になったようだ。しかし番号で呼ばれるのに慣れなければならない。明日の朝にはこの中から3名が落とされ12名に絞られることになる。
       
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午後になって夕食が出され、それがこの日の初めての食事だったが全員が同じものを同じ量だけ食べやがて夜11時の就寝の時間になった。携帯電話やスマートフォンは監視室に集められ、電話もメールも出来なくなる。カーテンを閉じ、時間がくると室内は一斉に暗くなった。
 
入院決定
翌日、15名中3名の補欠が病室から退席した。選ばれた12名で辞退者はいなかった。長期入院が決定した午後
「せめて、我々だけでもお互い、名前で呼びませんか」
と提案する人が現れた。治験者同士が互いを番号で
○○番さん」
呼ぶのも、呼ばれるのも厭じゃないですか、と。この提案は受け入れられ、さっそくメモ用紙が廻された。その趣旨に賛同する人は名前、年齢、住所、メールアドレス、趣味、と簡単な自己紹介を記入して回した。なかにはプライバシー、個人情報の公表になるがいいのか?大丈夫か?と神経質になる人もいた。しかし結局反対する人は無く、全員賛成であった。
 
ほとんどの人が長期の入院に備えノートパソコン、タブレット、携帯電話を持参しており、その夕方に情報は発起人によって全員に配信された。見知らぬ人同士をまとめる気の利く人がいるものだと感心したがこの発案者は何度か治験入院をしている体験者でもあった。
別の部屋にいたもう一つの12名のグループがこの日の午後、同じ部屋に加わり24名になった。治験者24名は情報を共有し名前で呼ぶようになった。これが前の日とはちがう風景だった。 
 
治験入院の一日  
7時になると窓際の電動式ブラインドのスイッチが入り薄暗かった室内に朝の光が差し込んだ。室内灯も点いて室内は一度に明るくなる。私は早起きの習慣から早くから目覚めラジオをイヤホンで聞きながら起床時間を待っていたが耳元の時報が流れるのと光が差し込むのは同時だった。
「治験」は厳格な時間管理で進めなければその結果は有効と認められないのだろう、採血の開始時間、シートを貼り始める時間、剥がす時間、食事の開始時間から始まって入浴まで何から何まで分刻みで進められ予定と実行時間には数秒の狂いもなかった。
たとえば採血はこんな様子だった。白衣のストップウオッチを首に下げた二人の看護師の一人が秒読みを開始し、もう一人は治験者の腕にゴムバンドを巻き付け。
10秒前、- - - -5秒前、432, 1」と読み上げ
「はじめてください」
の合図で採血針を静脈に射す。そして30秒以内に既定量の採血を終わると次のベッドに移り、ストップウオッチに従い同じ作業を繰り返すのだ。治験者を効率よく採血していくには大部屋で治験者を横並びにしなければならない。必然的に大部屋集団生活となるのだ。
背中にシートを貼る時も同じであった。上半身裸になった治験者の背中に二人の看護師が廻り込み5Cm角ほどのシートを貼るのだが、一人は貼る前の皮膚の状態を観察し一人が消毒液で拭き清め相互に声を出して確認しあう。「異常なし」「異常なし確認しました」と。そしてストップウオッチを一人が読み上げ一人はシートを構え
10秒前、- - - -5秒前、432, 1」合図とともに貼っていく。貼っていく時間も何秒と決められ押さえつけて上からジワリと既定の秒数をかけて貼っていく。「貼り終えました」「貼り終わり状態、確認」といった具合だ。そしてその都度カメラ室に行って剥がす前のシートの位置に前回とズレがあるかないか写真に撮り、肌の色や反応状態もカメラに収める。これもまた分刻みでストップウオッチ片手に秒読みとともに撮影が進められるのだった。