富士山 (22
「実はさっきまで小さな子達が3人くらい私にぶら下がってきていたのですよ。その子達がぶら下がってきて重くって仕方なかったんです。信じられないでしょうけどね」といたずらっぽく話した。その表情は話している内容と無関係な静かな目だった。彼女は問わず語りに身の上話を始めた。
福田さんは数年前、突然人事不詳に陥り数日間、意識不明になっていたという。そんな状態の中である光景を見ていたという。長く暗いトンネルの中をトロッコのようなものに乗っていた。やがて明るい光りが前方に見えた時、ふと意識が戻った。昏睡から冷めた時ベッドの周囲には家族が見守っていたという。回復した彼女の身の上には今まで見えなかった色々なものが見えるようになったと言う。
「臨死体験って言う奴ですね、死にそうになった時、今まで見えないものが見えるようになる人が居ると言います」
立花隆やエリザベス・キュボラーの臨死体験の本を読んだことがあったので私はそんな人がいることを知識としては知っていた。が、実際に目の前にそういう体験者をみるのは初めてだった。福田さんはごく普通の主婦そのものだった。神がかったところも何も無い普通の人そのものに見えた。しかし体験が彼女の見た目とは裏腹に質の面で大きく人生を変えていたようだった。
1合目からも登ってくる途中で、いくつも霊が見えましたよ」 
私は、どんな風に霊と言うものが彼女には見えるのかと聞くと、彼女は霊は丸く、黒っぽい、丸いボールのような形で地上に漂っている、それはごく普通に街中でも見かけることがあると言う。
「内田さんにも見えるはずです」と福田さんは言うが残念ながら私にはその能力は無い。
話しているうちに一時、私は福田さんがもしかして精神異常者ではないのかと疑った。
この富士山に一人でやってきたことも異常と言えば異常で、普通の女性が一人で登るには、よく言えば勇気がいるが悪く言えば異常だ。
彼女は意識不明から目覚めてから色々なものが見えるようになっただけでなく、発言にも今までと違ったものが出てきて、と具体的な話は避ける様子だったが今までの人間関係や付き合いも変り、それまでの友達とも別れるようになってしまったと残念そうにいうのだった。
9合目に来た時には夜はすっかり過ぎ去ろうとしていた。登山道の周囲は地平線のほのかな輝きにうっすらと明るく包まれ始めていた。周囲は人で一杯だった。狭い登山道が頂上近づくにつれ渋滞になっていた。
「ご来光の時間に頂上に立ちたい」
福田さんはその頃になって元気を取り戻し、ザックも自分で背負うまでになっていた。私は疲れと眠気とで反対に疲れ果てていた。
「この行列では頂上でのご来光は間に合いません。95尺でやっとご来光の時間でしょう」
どう見ても頂上にご来光にあわせてたどり着くのは無理のようだ。人を掻き分け、押しのけて進むわけにもいかない。人が壁のように立ち止まっているが福田さんはそれでも急がなければと元気を取り戻しご来光までにたどり着こうとしている。不思議に思い私は福田さんがあせっている理由を尋ねた。
「何か見えるはずなのです。ご来光の時間に頂上に立てば見えるものがあるはず、そのために一年間練習してきたのです」
福田さんはこの日のため、トレーニングをこなしてきた。何かが頂上に立った時見られるのだ、と確信している様子だった。待ちに待ったその大切な時間が今、一刻一刻と迫っている。
「内田さん、あなたが富士山に来る事は実は私は判っていました」福田さんは私を見て語りだした。何を話しているのか一瞬意味が判らなかったが福田さんは自分に語りかけるように話し始めた。
「誰か、私が富士山に行く時、必ず途中で私を導き助けてくれる人が現れると判っていました。それがどんな人かは知らなかったのですけど、それがあなただったのですね」
誰か彼女を導き助ける人が現れることを、彼女は山に登る前から既に知っていたと言う。それが私だという。背筋がぞっとした。この人はほんとに異常なのかもしれない。それとも本当に特別な能力を持った一般の人に理解できない人種なのかもしれない。
9合目の鳥居を過ぎ、頂上を仰ぎ見られる地点に来た時、地平線に太陽が顔を出し始めた。周囲の人たちもあたりに腰を下ろし始めた。ご来光の瞬間だ。あと幾折かの九十九折を登れば頂上なのだが狭い登山道には人が壁となって立ちすくみ、重い列を成している。一人だけで登れば10分もあれば登れるだろうがいまや混雑でまったく動かない列になっている。思い思いの場所に腰を下ろしカメラを構えている登山者の前に、地平線の雲間から真っ赤な太陽が光りの束となって立ち上り、輝きを放ち始めた。一秒一秒周囲は光りを増し長かった夜と決別した。
「何かここからでも見えるんじゃないですか」
頂上にこだわる福田さんの、やや落胆した表情を励まそうと私は声を掛けた。私の言葉に福田さんはしばらく光りを見つめていたが
「見えますね」
水平線に目をやったまま彼女は言った。
「何か、見えました?」私もご来光を見つめた。するとこんなことを言った。
「・・・赤ちゃんのお尻が見えます」
出し抜けに福田さんはそう言った。神が見えるだとか仏が見えるとか言うと思っていたが。
「お尻?・・・赤ちゃんのお尻ですか?」
気抜けして私はオウム返しに言った。赤ちゃんのお尻が見えるだと?
ご来光が赤みを増す姿しか私には見えない。何処に赤ちゃんが見えるというのか。
「何か書いてあります、メッセージが見えますね」福田さんは付け加えた。
「書いてある? なんか、文字が書いてあるのですか?
一体この人は、何がご来光の中に見えるというのだろう、そもそも彼女は正気なのだろうか?またもや福田さんへ疑問がよぎった。
「・・残念だった、とあります。惜しかった、もう少しだった」と彼女にはメッセージが見えるのだという。私は、持ってきた使い捨てカメラで、立ち昇るご来光を写真に収めた。福田さんをその前に立たせ、後で現像した時、この自分にもなにか見えないものかとシャッターを切った。
 それからの頂上迄はたいした時間はかからなかった。ただ、福田さんはご来光が上がりきってしまうと急に力が落ちたようになり、私が「もう一踏ん張り」と励ましても動こうとせず、そのため頂上の鳥居の先で待っているからと私だけ先に登り始め、登頂し鳥居を見下ろす場所に腰をかけ待っていても、どういう訳なのかやって来なかった。途中で人の流れに逆らって道を戻ることは考えにくい状況だった。10分が経ち20分が経ち、私は登頂してくる登山者たちの顔の中に福田さんを見落とさないようにしていた。が、ついに福田さんは姿を現さなかった。福田さんは私に
「途中で私を導き助けてくれる人」
と言ったが、私の役目はご来光と共に終えたのだろうか。
20分ほど待ったが、待つことに見切りをつけ、数年ぶりに頂上一周のお鉢めぐりに出発した。疲れから来る筋肉痛はあったが刺すようなひざの痛みは無かった。歩き始めて半周もする頃、不意に涙が出てきた。紫外線よけにサングラスをかけていたが、突然涙が両眼から溢れてきた。そして私の脚は回復したのだという確信と歓びがこみ上げてきた。大丈夫だった。富士山に登れたのだ、一生駄目になるかと考えていた自分のひざは回復したのだ。涙の後に、歓喜の感情がこみ上げていたのだった。
 
数日後、写真の現像が出来上がり、幾枚かのご来光の写真があった。しかし福田さんのたたずむ背景には、赤々と上り輝くご来光が写っているだけだった。一体あれは何だったんだろう? 
目線は隠させて頂きましたがその時写した写真です。平成8年8月4日4時50分とメモしていました。ところで、皆さんはご来光の中に何か見えますか?)
 
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