熊野那智大社にある八咫烏像
八咫烏とは「神武東征物語」に登場する三本足の烏(カラス)なのだが、
実際には烏に模した人物(特に紀伊半島の豪族)なのでしょう。
『日本書紀』で八咫烏は次のように登場します。
紀州熊野で毒息を吐く神に悩まされていた彦火火出見率いる東征軍一行は、
高倉下命に届けられた布都御魂剣の助けにより呪いから漸く逃れると、
紀伊山地を越え、敵長脛彦命の本拠地、畿内登美に向かおうとしました。
ところが紀伊山中はあまりにも嶮絶で、通れる道が見つからなかったので、
途方に暮れた東征軍が山中泊をしていた時、彦火火出見は夢を見ました。
その夢の中で天照大神が彦火火出見に向かって言いました。
「我は今から八咫烏を遣わそう、彼に続いて進みなさい。」
その時果たして、直ちに八咫烏が空から飛び降りてきました。
彦火火出見は言った。「此の烏は私が夢のお告げで見た烏に違いない。
大いなる哉、素晴らしき哉、
我が皇祖天照大神が私を助ける為に遣わした鳥なのである。」
すると、大伴氏の遠祖の日臣命と久米氏の始祖大來目命が八咫烏を追いかけ、
将兵を率いて山中を踏み開いて進んでいきました。
八咫烏は別名、鴨建角身(かもたけつのみの)命で鴨氏の祖とされている。
鴨建角身命は京都その他の下鴨神社に祀られており、由緒書きにて、
大国主命と宗像三女神の中津宮に居す多岐都姫=高津姫の子とされるので、
事代主命=大物主命と同一神と考えられるのだが、
『記・紀』や各神社の社伝で、沖津宮と中津宮と辺津宮、
及び湍津姫=多岐都姫と市来島姫、更に田心姫の間にも混乱が見られるので、
このことを認識している人は少ない。
また「神武東征物語」の最終盤で東征軍が長脛彦命と直接対決に至った時、
金鳶(きんし)が現れて、東征軍が大いに沸き立ったという。
彦火火出見命(のちの神武天皇)弓の先に止まる金鵄
私はこの時、八咫烏が金鳶(きんし)に昇華したと考えており、
金鳶は彦火火出見命率いる東征軍に味方をすることを正式に表明し、
同族の長脛彦命(=味鋤高彦根命)の敵として立ち向かったのであろう。
長脛彦命側にしてみれば味方と信じていた鴨建角身命が急に敵に寝返ったので、
戦意を急速に失ったとされるのは当たり前の話である。
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