「最終回」と言うタイトルはどうかと思うが書き始めた頃の気持ちとはズレが生じて聞いた為、これで最後とする。
そもそも、自分の心境を吐露したい事から始めたが、色々コメントを頂くうちに励まされ、私も前向きになれた事も今回、終了とする一因となった。
とりあえず前回の続きからの出来事はを簡略に書くとネカフェへ行って大量にTパックを頂いた(笑)
さすがに頂き過ぎて店員に注意されないかビクビクしていたけど。いい歳こいてやる事ではないけど、刺激的で楽しかった。
通常の食事も食べられ、体調が維持できていたが抗癌剤治療日の2/1前日に熱が上がり治療が出来るか若干不安になる。
そして治療日の本日。病院で熱を計ると37.0℃だった。看護士さんは「どうします?治療受けますか?」と聞かれ「体調も悪くないし受けさせて下さい」とお願いする。
その後、担当医の診察があり「血液検査の結果も悪くないので治療しましょうか。前回、かなり副作用で大変だったので今回抑えておきますね」
その時、抑えるって意味を聞けば良かったと1日考えてしまったが聞くのを忘れてしまった。
何故かと言えば治療を受けたのが昼頃で今、深夜の12時を回っているから12時間たつが、副作用が感じられない。
最初に受けたときも感じられなかったが担当医の言った言葉が気になっている。
通常より抑えたと言う事は量を減らした?抗癌剤の種類を変えた?重要な事なら説明があると思うがその辺は全くなし。
でも、まぁ今更、多少の事では影響ないかと考え放っておくことにする。
明日になったら酷い副作用が出てきたりして(笑)
2/1までの出来事としては以上。
昨年より病気発生の告知衝撃から闘病生活、人との付き合い、自分自身の気持ちの変化などここ3ヶ月程度で数年分、いやぼーっと生きてたら数十年分の出来事が体験できた。
外見は体重が20kg以上減ってしまったがぶっちゃけると、プロレスラーみたいな体型だった為、180cmで相当ほっそりした体型になり相当男前になった気がする(笑)
そんな事より、一番変わったことは泣ける事・泣く事を思い出した事かな。
前に書いたどうか忘れたが、小学生低学年の頃までは泣き虫、それも最低1日1回は泣いていた気がする。
別にイジメにあっていた訳ではなく、要は我侭な性格だった。
スーパーで駄々をごねて泣いている子と同じ。
小学生の時、約束を破られ平気でいた子に(とその頃は解釈していたが)ブチ切れ、私の家で泣きながら暴れ回って喧嘩し、その日午後、塾があるのを忘れていて顔会わすのが物凄く気まずく「二度とブチ切れない。余程の事がなければ泣かない」と言う事を自分に誓った。
その後ブチ切れる必要な事など訪れず、多少感情込めて話せば乗り切ってこれた。
泣く事は残念ながら親戚の死、父の死ですら心では勿論悲しんではいたが涙は殆ど出なかった。
今思えば、あの誓いは相当にその後の自分を色んな意味で抑制して来たのだろう。
そして今回の出来事により私へのみんなの厚意が25年位かな?抑制していたものが開放できたと思う。
お陰でTV番組でよく泣いてしまったり、暖かい言葉をかけえられるとまた泣いてしまったり。
でも、これでいいんだと思う。そう、やっと素直な自分に戻れた。
「ありがとう」こんな言葉を母にも素直にかけられる。でも流石に恥ずかしくて母に向かって泣けない。
本当は感謝の気持ちで一杯。母の言葉の言い回しか泣かせてくれるのを抑えてくれる面もあるが。
あと、伝えたい言葉がある。在り来たりな言葉ではあるけど「産んでくれて有難う」
この世に生まれ、沢山の事が思い出される。常にとは言わないがそこに母がいる事が比較的多い。
父は放任的人だったから思いで少ないが、母は家にいてもパートにいてもすぐ近くにいてくれた。
でも2人とも好きだ。2人がいたから私がいる。僕がいる。
2人に本当に有難うと言いたい。父が生きているうちに言いたかったが母にはどうやら言えそうだ。
今度は恥ずかしがらず言おう。恥ずかしがってもいいか。涙見せてもいいよね。
「お母さん、何も返せなかったけどごめん。でもお母さんが好きだ。産んでくれて有難う」
これで僕の闇は明ける。
P、S まだやらなければ成らない重要な事、それは妻への事が残されている。
まだ死ねない。生き残ってたらまたブログを書く日が来るかもしれない。
