お正月に家族で、「退院したのはいつだったかなぁ?」という話をよくしましたが、昨年の1月7日に私は退院しました。
本当に去年はお正月どころではなく、私を含め家族全員が大変でした。
いつもの読者の方はご存知かと思いますが、私は一昨年の12月25日にドラちゃんを出産後、12月28日に帝王切開術後肺血栓塞栓症という病気になりました。
肺の動脈に血栓が詰まる病気ですね。
今思えば、陣痛促進剤を3日使って産まれずの帝王切開ですから、出産だけでも壮絶だったと思います。
順調に回復していたつもりの28日の夕方、陣痛以上の背中の痛みに襲われて、すぐに大きな総合病院へと救急車で運ばれ、検査をし、ICUに入院となりました。
ちょうど年末ということもあり、たくさんの友人が出産した病院へきてくれるはずが一転、家族以外は面会謝絶、私はたくさんの管に繋がれ、部屋から出ることすら出来ません。
そして、ドラちゃんだけが産院に取り残されていることを、まるで人質に取られているような気持ちになり、とにかくドラちゃんを取り返して欲しいと、25日に産まれたばかりのドラちゃんでしたが、29日には退院となり、実家で育てられることになりました。
私は命の危機は脱したものの、ドラちゃんに会えない寂しさが、まるでこの世の絶望のような感じがして、毎日泣いてばかり。
そして、帝王切開の傷も痛ければ、血栓が詰まった肺や背中、色んなところが激痛。
痛いのと、悲しいのとで、すごく情緒不安定でした。
そんな私に主治医の先生も優しく話を聞いてくれたり、看護師さんにもたくさんアドバイスをいただきました。
例えば、「旦那さんは大変だろうけど、普通は産まれたての赤ちゃんはママがお世話をして、パパは見ているだけ。でも今回は育児の素晴らしさを体験できるチャンスをもらえたと前向きに考えられるよ。今回のことで、この先パパとママと2人そろって育児が出来る。今は大変でしんどくても、愛情も深まるし、絶対に良い経験になるから心配ないよ!」と励ましてくれました。
そして、普通なら出産後皆が産院で教えてもらうようなことを(おっぱいのあげ方、お風呂の入れ方、おむつの変え方など)全く知らないうちに、転院になった私のために、色んなことを教えてくれる手配もしてくれました。
でも、悲しくて寂しくて泣いてばかり。
心配した看護師さんたちがドクターと相談して、特別に赤ちゃんと面会出来るように計らってくれ、元旦には短い時間ですが、ドラちゃんと会うことができ、部屋でお七夜をしました。
幸せな時間はあっという間に終わり、数時間の面会後ドラちゃんが帰るとなると、また号泣。
そんな情緒不安定のなか、ドラちゃんが1週間健診で黄疸の症状で急きょ入院することになりました。
妹と主人がそれを私に知らせるかどうかで悩み、結局教えてくれたのですが、また私は不安定に。
そんな時も看護師さんが励ましてくれたり、色々教えてくれて、一生懸命不安を取り除いてくれました。
ドラちゃんは1泊で退院し、その後私も徐々に回復したのと、主治医の先生の「早く赤ちゃんと一緒に過ごした方が良いだろう。」という判断で、6日に「もう明日でも明後日でも退院していいよ。どうする?」と突然言われ、「明日退院したい!」と私の退院も決まりました。
そこから室内安静も解け、バッタバッタと退院の準備をして、晴れて退院出来たのが1月7日です。
とても良いお天気の日でした。
本当に主治医の先生やICUの看護師さんにはお世話になりました。
お手紙も書いて渡しましたが、それでも伝えきれないほど、感謝の気持ちでいっぱいです。
そして、私が入院中てんてこまいでドラちゃんのお世話に私の看病にと頑張ってくれた主人と妹に弟に両親。
とっても大変だったと思います。
毎日病院まで来て、私を励まし、慰め、長時間付き添い、実家に戻ってドラちゃんのお世話を一晩中するという生活でしたから、本当に休む間なんて無かったと思います。
私の容態が急変したらいけないからお酒も飲めないし、常に神経がピリピリしていたことでしょう。
本当にありがとう。
感謝してもしきれません。
私も闘病生活頑張りました。
初めての出産、そして初めて病気で入院することになり、家族の大切さというのをとても考え、感じるきっかけになった出来事でした。
お金で健康は買えません。
私の友人たちも、色々と人生について考えさせられたと言っていました。
病気が治った今でも、私の心の中では、「思っていた出産とは違った。」という傷が残り、なかなか気持ちの整理が難しいのですが、それも入院中に主治医の先生にそうなると言われていたので、時間をかけて受け入れたいと思います。
さて、今日もドラちゃんと仲良く三輪車でお散歩行ってきます。
朝は七草粥を作りました。
本当に去年はお正月どころではなく、私を含め家族全員が大変でした。
いつもの読者の方はご存知かと思いますが、私は一昨年の12月25日にドラちゃんを出産後、12月28日に帝王切開術後肺血栓塞栓症という病気になりました。
肺の動脈に血栓が詰まる病気ですね。
今思えば、陣痛促進剤を3日使って産まれずの帝王切開ですから、出産だけでも壮絶だったと思います。
順調に回復していたつもりの28日の夕方、陣痛以上の背中の痛みに襲われて、すぐに大きな総合病院へと救急車で運ばれ、検査をし、ICUに入院となりました。
ちょうど年末ということもあり、たくさんの友人が出産した病院へきてくれるはずが一転、家族以外は面会謝絶、私はたくさんの管に繋がれ、部屋から出ることすら出来ません。
そして、ドラちゃんだけが産院に取り残されていることを、まるで人質に取られているような気持ちになり、とにかくドラちゃんを取り返して欲しいと、25日に産まれたばかりのドラちゃんでしたが、29日には退院となり、実家で育てられることになりました。
私は命の危機は脱したものの、ドラちゃんに会えない寂しさが、まるでこの世の絶望のような感じがして、毎日泣いてばかり。
そして、帝王切開の傷も痛ければ、血栓が詰まった肺や背中、色んなところが激痛。
痛いのと、悲しいのとで、すごく情緒不安定でした。
そんな私に主治医の先生も優しく話を聞いてくれたり、看護師さんにもたくさんアドバイスをいただきました。
例えば、「旦那さんは大変だろうけど、普通は産まれたての赤ちゃんはママがお世話をして、パパは見ているだけ。でも今回は育児の素晴らしさを体験できるチャンスをもらえたと前向きに考えられるよ。今回のことで、この先パパとママと2人そろって育児が出来る。今は大変でしんどくても、愛情も深まるし、絶対に良い経験になるから心配ないよ!」と励ましてくれました。
そして、普通なら出産後皆が産院で教えてもらうようなことを(おっぱいのあげ方、お風呂の入れ方、おむつの変え方など)全く知らないうちに、転院になった私のために、色んなことを教えてくれる手配もしてくれました。
でも、悲しくて寂しくて泣いてばかり。
心配した看護師さんたちがドクターと相談して、特別に赤ちゃんと面会出来るように計らってくれ、元旦には短い時間ですが、ドラちゃんと会うことができ、部屋でお七夜をしました。
幸せな時間はあっという間に終わり、数時間の面会後ドラちゃんが帰るとなると、また号泣。
そんな情緒不安定のなか、ドラちゃんが1週間健診で黄疸の症状で急きょ入院することになりました。
妹と主人がそれを私に知らせるかどうかで悩み、結局教えてくれたのですが、また私は不安定に。
そんな時も看護師さんが励ましてくれたり、色々教えてくれて、一生懸命不安を取り除いてくれました。
ドラちゃんは1泊で退院し、その後私も徐々に回復したのと、主治医の先生の「早く赤ちゃんと一緒に過ごした方が良いだろう。」という判断で、6日に「もう明日でも明後日でも退院していいよ。どうする?」と突然言われ、「明日退院したい!」と私の退院も決まりました。
そこから室内安静も解け、バッタバッタと退院の準備をして、晴れて退院出来たのが1月7日です。
とても良いお天気の日でした。
本当に主治医の先生やICUの看護師さんにはお世話になりました。
お手紙も書いて渡しましたが、それでも伝えきれないほど、感謝の気持ちでいっぱいです。
そして、私が入院中てんてこまいでドラちゃんのお世話に私の看病にと頑張ってくれた主人と妹に弟に両親。
とっても大変だったと思います。
毎日病院まで来て、私を励まし、慰め、長時間付き添い、実家に戻ってドラちゃんのお世話を一晩中するという生活でしたから、本当に休む間なんて無かったと思います。
私の容態が急変したらいけないからお酒も飲めないし、常に神経がピリピリしていたことでしょう。
本当にありがとう。
感謝してもしきれません。
私も闘病生活頑張りました。
初めての出産、そして初めて病気で入院することになり、家族の大切さというのをとても考え、感じるきっかけになった出来事でした。
お金で健康は買えません。
私の友人たちも、色々と人生について考えさせられたと言っていました。
病気が治った今でも、私の心の中では、「思っていた出産とは違った。」という傷が残り、なかなか気持ちの整理が難しいのですが、それも入院中に主治医の先生にそうなると言われていたので、時間をかけて受け入れたいと思います。
さて、今日もドラちゃんと仲良く三輪車でお散歩行ってきます。
朝は七草粥を作りました。