先生に、ノクターン遺作はまずは
毛布も意識じゃなく、無意識のうちに肌触りの良いものを好むし求める。
ワンコや猫ちゃんの、あのスムーズなひんやりした感触の毛並みが触りたい。
ママの柔らかい身体を子供は大好きで安心する。
ピアノの柔らかい 深い 響きのある音を愛する
黒板を爪で引っ掻く音は皆んな嫌い
不協和音は嫌い
ガサガサなタオルは嫌い
すわり心地の悪いソファは嫌い
響かないピアノは嫌い←前に第2のマイピアノだった地区センターのピアノちゃん、ポコポコ木魚みたいな音で、ポコピと呼んでた。。
ノンペダルで
と、言い渡され、
最初の4小節だけ? と能天気に思っていた私でしたが、皆さまのお知恵から、
全体的
の指示であったと理解。。
しかしながら、まだあれ以来レッスン無し。
毎日夜な夜な、ノンペダルとペダル有りを1ページずつ交互に
やっちょりますうっ!
こーすると、そんな気分が凹まない上に、
ノンペダルで弾いた弾き方をペダル有りでも意識出来て良いかもおー

さて、タイトルの耳で弾いてる👂んだねーですが、
ペダル頼みだと適当に弾いてもある程度は雰囲気出るから、指の使い方とか気にする必要が無い
→気づかないから当然意識しない。
ペダル無しだと、聴くに耐えない。
私の場合、最初からペダル有りで数ヶ月自主練を毎日してきてしまった為、完全にペダル有り音、あ、盛りまくり音、に慣れっこな為、
正規の練習順?のペダル無し→あり への順番に比べて余計に辛い。現実を突きつけられて悲しい

しかし、自分の耳が耐えられなければ、人間は本能でどうにかしようとするのだと思う。
明らかに初めてノンペダルで弾いた時の衝撃的に吐きそう
な、アホ音よりましになった!!
若干! きっと! 多分。 もしかしたら。。
左手が物理的に届かない箇所の左手は切れるけど、こないだまでは届くとこも、ブチブチに切れていた←ペダル有りだと別に耳にあたりが良いから気づかない。
現実を突きつけられた今は、自分の耳に耐えられるように少しでも頑張る自分が生まれた
意識は勿論大切だけど、
それに至るには 耳が耐えられるか耐えられないかの方が、手っ取り早いかなと。
逆に、
自分の録画、録音、最近全然してませんー
知りたく無い現実。。
録音しなくちゃー。 怖くてー
自分の録音を聴くと確実にガッカリするから、それは置いておき。。
まず、リアルタイムで耳に入るNOW自分が弾いてる音を少しでも良くしたいと本能で頑張りますよね!
意識は大切だ、しかし、その前に
無意識に感じる感覚、感触、音の心地良さとかの方が大事というか、分かりやすい気がします。
あくまで私のレベルならの話で、上級者の方は別話だから、鼻で笑ってくださいね
感覚、耳=本能、+意識 で良く弾けるようになりたいです。
今週はあれ以来初のレッスンなので、
いつもに増して、めちゃ怖いです
でも、踊りや歌や楽器は太古からあるもので
勝手にやってる人達ばかりだったと思います。
今は尊敬できる素晴らしい先生に習えて、本当に幸せな反面、レッスンは緊張しちゃいますけど、
先生が弾いて出してくれる音をしっかり聴いて、自分に入れていきたいです
ダンスもカウントで覚えるタイプじゃ全く無く、そんなんじゃまるで出来ず、
音楽とセットで視覚と聴覚で総合的に入れてました。だから、周辺の雰囲気やら間、タメ、勢いなんかも感覚的についてくる。
画面で捉える感じ。
だから、ピアノも絶対私にはその方が良いと思います!
口での説明で無く、音を聴かせてくれる先生に感謝
です。演奏者が目の前で全身を使って弾く様は、伝わってくるイメージが凄い



私はゆっくりした曲しか、技量的に無理だとは知りつつ、炎のような曲
も死ぬまでに挑戦してみたくなりました。
も死ぬまでに挑戦してみたくなりました。指は歳で衰えて、耳の機能も同様でしょうけど、
聴音はダメでも、 きっと一生衰えない感覚は人間にはあるはず
信じる〜

