2000年6月15日アジアのAA大会へ参加するために韓国ソウルへ行きました。ここに至るまでは大変な時間と労力をかけてきました。タイ国内で少しずつ野球が普及してきたとは言え、まだまだ国際大会に参加する実力はともなっていない中で、タイアマチュア野球連盟は大会への参加を決定しました。選手を選ぶセレクションから携わり、まだまだ経験の少ない選手たちをタイ全土からバランスよく選出しました。選ばれた彼らとともに、合宿所に約1か月半、寝食をともにして大会に備えました。朝5時に起床、軽いランニングの後、基礎体力をつける目的でトレーニング。午前中は9時から12時まで、昼食・昼寝の後、14時から日没まで練習をしました。私も帰ってくる夕方には体重が2キロも減っているような過酷な暑さの中、一番きつい思いをしているのは子供たちの方なんだと自分に言い聞かせ、脱落者が出ないように頑張り抜きました。私は「今回選ばれなかった子供たちの分も頑張らなければならない」と言い聞かせ、18名全員で厳しい合宿を終えました。

 ほとんどの子供たちが飛行機に乗ることも、海外へ行くことも初めてです。今までのつらい合宿のことなどすっかり忘れ、飛行機の中では大変な大騒ぎです。ホテルに到着してもすっかりうかれています。次の日に割り当てられた時間の軽い練習を終え、試合前日の夜、ミーティングを開きました。この大会には、日本、韓国、台湾のアジア3強をはじめ、フィリピン、インド、タイの6チームが参加していました。次の日の開会式直後の開幕試合に地元韓国と対戦することが決まっています。ミーティング中も受かれていた彼らに対して私は忠告しました。「明日、球場に行って開会式直後の開幕試合、強豪韓国と対戦する。今、調子に乗って浮かれている奴は、間違いなく明日、緊張のあまり試合を壊すだろう。そうならずに100%の力を出すためにも今晩は早く寝るように」最後に、明日の先発にペーンを指名し部屋に戻りました。本人は「緊張なんかしないよ」と言い、ずいぶんと遅くまではしゃいでいたようです。

 試合当日の朝、バスに乗り込み球場に入ったとたんに選手たちの元気がなくなり、シンと静まり返ったばかりではなく、先発のペーンを中心に顔が真っ青になっているではありませんか。大きなスタジアムには、開会式に集まったたくさんの観客と地元韓国の応援団、また、メジャーリーグのスカウトをはじめ、報道関係者なども含め内野席はほぼ満席です。すっかり静まり返ってしまったタイチームは、その異様な雰囲気に包まれたまま試合に突入して行きました。「相手がどうであれ自分たちの元気な野球をやろう」と声をかけて試合にのぞみました。結果はいかに・・・