目を通してくださったあなたの優しさに感謝します。私のつたない体験談です。どんな生徒も変わることができるのです。それが教師の使命です。

 

私の信条は生徒1人1人を大切にすることです。そして勇気をもって関わっていくことに尽きます。とは言うものの、自分の許容量をこえた手ごわい生徒がうごめく教育現場にあって、その信念を貫き通して行くことは簡単なことではありません。この時も幾人もの手ごわい生徒に出くわしました。「キレる」という言葉がよく使われるようになりましたが、見学旅行(修学旅行)の最中に大阪のなんばグランド花月にて、友人同士のトラブルから大声を出して暴れ、警察官にも立ち向かって行った生徒がいました。学校に帰ってから教頭に立ち向かって行ったために、慌てて彼を押さえつけ、別室に連れて行きました。そこでも大暴れした彼は学校を去って行きました。その時、大暴れした彼を逃げないように押さえつけた結果、あばら骨を骨折しました。体を張っての生徒たちとの交流の思い出は尽きません。

もちろん、自分のクラスの中にもいろんな生徒がいました。Mという男子生徒もその一人でした。彼は中学校時代、野球部の中心選手として活躍していました。それを知っていた私は、野球部の顧問として入部を強く期待してしました。しかし、彼は入部しませんでした。誘ってみましたが全く応じることなく、自分には野球以外にやりたいことがあるとの一点張りで部活動にも一切目もくれずに学校生活を送っていきました。日に日に目つきが悪くなり、髪の毛の色もすっかり赤く染まり、数人の仲間といつもトイレをたまり場にして、だらしのない生活が目につくようになって行きました。遅刻は当たり前、もちろん勉強など一切やりません。成績でも3教科以上で「1」という評価をとっていました。明らかにどんどんとダメになって行きました。

1年生の12月のことでした。Mは市内の有職少年とともに、ある高校の男子生徒に集団で暴力をふるう事件にかかわり、裁判沙汰にまでなってしまいました。担任の私にとっては大きなショックでしたが、それ以上にやはり来るべきところまで来てしまったことに、後悔の念がわき上がってきました。生徒指導部の先生とともに家庭訪問をして、全ての事情が明らかになり、学校の処分としては無期停学との裁定がくだりました。停学処分となってから北海道では長い冬休みに突入し、私にとっても、Mにとってもつらく長い冬休みとなりました。冬休みなので、担任として1日おきに家庭訪問をするはめになりました。正月をむかえても気分は晴れず、憂鬱な正月だったことを覚えています。こんな最悪な状況になってしまいましたが、今こそMを変えさせるチャンスととらえ、粘り強く家庭訪問を重ねて行きました。野球部の話を持ち出すと固く拒みます。すっかり遊びほうけてしまったMにとって野球部への入部は、大きな決心が必要だったのでしょう。もし、ここで野球部に入らずに学校生活に戻っても同じことを繰り返してしまうと思った私は考えに考え抜いた結果次のような話をしました。

「野球部に入るか、それとも学校を辞めるかのどちらかを選択してくれ。野球部に入らないのなら俺はもう担任としてお前の面倒はみないからな」と。後になって校長に話したところ「生徒をやめさせる権限は君にはない」と厳しく怒られましたが、この究極の選択が彼を蘇らせることになりました。野球部への入部を約束させたのです。Mも相当悩んだのでしょう。「先生オレ野球部入るは」とまるで牢獄にでも入るかのようにうなだれて言ってきました。そこで私はすかさず「よしわかった!それなら頑張ってやっていこう!その代り3年生になったら必ず、北北海道大会に連れて行ってやるからついて来い!」と答えていました。それからというもの、Mは野球部に入り、慣れるまでにはけっこう時間がかかりましたが、2年生になってからは見違えるようになり、つらい練習も休むことなく頑張りました。もともと野球のセンスがあった彼は3年生になってからは、中心選手としてチームにも貢献してくれました。

後日談になりますが、3年生の時、管内の全道大会常連校となったK高校と2回戦で対戦。圧倒的な力差をものともせず互角に戦い、惜しくも4対6で惜敗しました。そのチームは私が初めて期限付きで赴任した学校であり、その後めきめきと頭角を現し、甲子園をうかがう実力校となっていました。最後の大会直前の甲子園常連校の私立高校との練習試合でエースのTが完投し、4対3で勝利し、数年間、連戦・連敗の記録に終止符をうっての大会であったために、私も指導者として大きな責任を感じた試合となりました。これを機に私は、タイへ野球の普及のために2年間、学校を離れることになりました。Mは市内の老舗の技術屋さんに就職を勝ち取り、その後20代の若さで独立。自分で会社を経営する青年実業家として活躍しています。タイに行った時、彼の父親とともに道具を集めて送ってくれたこともよき思い出です。どんな生徒も勇気をもって関われば大きく成長して行きます。これが私の生きる道です。