ベートーベンに学ぶ

昨日の3年生の倫理(りんり)の時間、ベートーベン作曲交響曲(こうきょうきょく)第5番「運命(うんめい)()いた。第1楽章(がくしょう)から第4楽章まで40分以上の大作だ。特に第4楽章では、まさに彼自身の勝利の喜びを表してるような素晴らしい曲である。ある生徒の感想である。「強い喜びの気持ちがわかる音、つらかった時の音が全然変わり、歓喜(かんき)()いしれるような音、勝利を見せつけるような感じに聞こえた」

音楽家としては致命的(ちめいてき)な病気。20代後半から耳も聞こえなくなり、一時は自殺も考え、有名な遺書(いしょ)まで書いた彼は、自分がまだ、自分の目標を達成していないことを強く自覚して猛烈(もうれつ)なまでに、作曲活動を再開する。その時の日記である。「僕の体力も知力も、今ほど強まっていることはかつてない。僕の若さは今始まりかけたばかりなのだ。一日一日が僕を目標へ近づける、――自分では定義(ていぎ)できずに予感しているその目標へ。おお、僕がこの病気から治ることさえできたら、僕は世界を()きしめるだろうに!…少しも仕事の手は休めない。眠る間の休息(きゅうそく)以外には休息というものを知らずに暮らしている。以前よりは多くの時間を睡眠に与えなければならないことさえ今の僕には不幸の種になる。今の不幸の重荷(おもに)を半分だけでも取り除くことができたらどんなにいいか…このままではとうていやりきれない。―運命ののど元をしめつけてやる。断じて全部的に(まい)ってやらない。おお、人生を千倍も生きられたらどんなにいいか!」なんと生命力(せいめいりょく)あふれる生き方か!?人間、目標に向かって強く生きている時、誰も止められない(いきお)いがあるものだ。

  

ムハマド・ユヌス氏に学ぶ

今、担任は「貧困のない世界をつくる」という本を読んでいる。著者(ちょしゃ)1940年、東ベンガルで生まれたムハマド・ユヌス氏である。1971年バングラディッシュとなった祖国(そこく)で、チッタゴン大学・経済学部の学部長として、学生たちに経済学を教えていた。

1974年と75年にかけて、洪水(こうずい)、干ばつ、サイクロン、モンスーンなど次々に起きた破壊的な天災(てんさい)で、何百万というバングラディッシュ人が、家族のための食物をまかなえなくなり、飢餓(きが)が進んで行った。何十万人の人々が亡くなっているのに、世界はまるで無関心に見えた。

その時彼は、無用の死がバングラディッシュを荒廃(こうはい)させているのに、大学でエレガントな経済理論や自由市場のほぼ完璧(かんぺき)な作用といったものを教えることが次第(しだい)難しくなってくるのがわかった。圧倒的(あっとうてき)な飢餓と貧困に直面(ちょくめん)して、彼にとっては突然、そんな理論が空虚(くうきょ)に感じられるようになった。彼は「自分の周りにいる人々が、あとほんの少しだけでも多くの希望を持って、さらなる1日を乗り越えられるよう、何かすぐにできることをしたかった」と当時のことを述懐(じゅっかい)している。

彼は、すぐに現状を理解した。最も貧しい人々(土地もっていない、日雇(ひやと)い労働者、工芸品(こうげいひん)製作者、物乞(ものご)い)が一番最初に死んでいくという事実を目の前にして、この人たちを何とかしなければならないことに気がついたのだ。ここから彼の戦いははじまった。貧困を無くすという前代(ぜんだい)未聞(みもん)の戦いだった。