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赤池 まさあき
12月8日は開戦の日
今日は開戦の日です。8月15日は終戦の日でマスコミでも大々的に取り上げられます。しかし、開戦の日はほとんど取り上げられません。終戦があれば当然開戦があるわけで、戦後を考える上で、終戦の日と同様に振り返ってみる必要があると思います。
73年前の今日、真珠湾攻撃をして開戦に立ち至った日本が、どういう「思い」だったか。改めて「開戦の詔勅」を読んでみたいと思います。
開戦の詔勅(正式には「米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書」)
●(第1段落 日本の成り立ちと、天皇から国民への宣言)
天佑(てんゆう=天のたすけ)を保有(ほゆう)し、
万世一系(ばんせいいっけい=永久に同一の系統が続くこと)の
皇祚(こうそ=皇位)を践(ふ)める大日本帝国天皇は、
昭(あきらか)に 忠誠(ちゅうせい)勇武(ゆうぶ)なる
汝(なんじ)、
有衆(ゆうしゅう=君主から人民を呼ぶときの語)に示す。
●(第2段落 米英国への開戦の決意、国家国民一体を強調)
朕(ちん)、茲(ここ)に米国及(およ)び英国に対して
戦(たたかい)を宣(せん)す。
朕(ちん)が陸海将兵は、全力を奮(ふる)って交戦に従事し、
朕(ちん)が百僚有司(ひゃくりょうゆうし=多くの官吏役人)は、
励精(れいせい)職務を奉行(ほうこう)し、
朕(ちん)が衆庶(しゅうしょ=一般の人々)は、
各々(おのおの)其(そ)の本分を尽し、
億兆(おくちょう=万民)一心(いっしん)にして
国家の総力を挙げて、
征戦(せいせん=敵地での戦い)の目的を達成するに
遺算(いさん=計算違い)なからんことを期(き)せよ。
●(第3段落 歴代天皇の東アジアの安定と世界平和への思い)
抑々(そもそも)、東亜(とうあ=東アジア)の安定を確保し、
以って世界の平和に寄与(きよ)するは、
丕顕(ひけん=偉大さが明か)なる皇祖考(こうそこう=天皇の祖父・明治天皇)、
丕承(ひしょう=偉大さを受け継ぐ)なる皇考(こうこう=先代の天皇・大正天皇)の
作述(さくじゅつ)せる遠猷(えんゆう=長期構想)にして、
朕(ちん)が拳々措かざる所(けんけんおかざるところ=常に慎み願ってやまない)。
●(第4段落 国際友好と共栄は国是、米英両国との不和は不幸)
而(しか)して列国との交誼(こうぎ)を篤(あつ)くし、
万邦共栄(ばんぽうきょうえい)の楽(たのしみ)を
偕(とも)にするは、
之亦(これまた)、帝国が、常に国交の要義(ようぎ)と
為(な)す所(ところ)なり。
今や、不幸にして米英両国と釁端(きんたん=不幸の始まり)を
開くに至(いた)る。
洵(まこと)に已(や)むを得(え)ざるものあり。
豈(あに)、朕(ちん)が志(こころざし)ならんや。
●(第5段落 昭和12年からの支那事変は分裂国家支那が原因)
中華民国政府、曩(さき)に帝国の真意を解(かい)せず、
濫(みだり)に事を構えて東亜(とうあ)の
平和を攪乱(こうらん)し、
遂(つい)に帝国をして干戈(かんか=武器)を
執(と)るに至(いた)らしめ、
茲(ここ)に四年有余を経たり。
幸(さいわい)に、国民政府、更新するあり。
(蒋介石の重慶政府から汪兆銘の親日南京政府へ)
帝国は之(これ)と善隣(ぜんりん)の誼(よしみ)を結び、
相(あい)提携(ていけい)するに至(いた)れるも、
重慶に残存(ざんぞん)する政権(蒋介石国民党政権)は、
米英の庇蔭(ひいん=ひさしのかげ)を恃(たの)みて、
(英米ソから援蒋ルートで支援を受ける)
兄弟(けいてい)尚(なお)未(いま)だ牆(かき=壁)に
相鬩(あいせめ)ぐを悛(あらた)めず。
●(第6段落 米英両国の東アジアでの策謀)
米英両国は、残存政権(蒋介石)を支援して、
東亜(とうあ)の禍乱(からん)を助長し、
平和の美名(びめい)に匿(かく)れて、
東洋制覇(とうようせいは)の非望(ひぼう)を
逞(たくまし)うせんとす。
剰(あまつさ)え与国(よこく)を誘(さそ)い、
帝国の周辺に於(おい)て、
武備(ぶび)を増強して我に挑戦し、
更に帝国の平和的通商に有(あ)らゆる妨害(ぼうがい)を与へ、
遂に経済断交を敢(あえ)てし、(石油禁輸等のABCD包囲網)
帝国の生存(せいぞん)に重大なる脅威(きょうい)を加う。
●(第7段落 日本の平和努力が無為に)
朕(ちん=昭和天皇)は、政府をして事態(じたい)を
平和の裡(うち)に回復せしめんとし、
隠忍(いんにん)久しきに弥(わた)りたるも、(日米交渉の実施)
彼(かれ=米国)は毫(ごう)も交譲(こうじょう)の精神なく、
徒(いたづら)に時局の解決を遷延(せんえん)せしめて、
此(こ)の間、却(かえ)って益々(ますます)経済上、
軍事上の脅威(きょうい)を増大し、
以って我を屈従(くつじゅう)せしめんとす。(ハルノートの提案)
●(第8段落 東アジアの安定と自存自衛の戦い)
斯(かく)の如くにして、推移(すいい)せんか。
東亜安定(とうああんてい)に関する帝国積年(せきねん)の努力は、
悉(ことごと)く水泡(すいほう)に帰し、帝国の存立(そんりつ)、
亦(またこ)正に危殆(きたい)に瀕(ひん)せり。
事既(ことすで)に此(ここ)に至る帝国は、
今や自存自衛(じそんじえい)の為、
蹶然(けつぜん)起(た)って、
一切の障礙(しょうがい)を破砕(はさい)するの外(ほか)
なきなり。
●(第9段落 天に誓い国民を信頼、東アジア永遠平和と日本の名誉)
皇祖皇宗(こうそこうそう=天照大御神から歴代の天皇)の
神霊(しんれい)、上(かみ)に在(あ)り、
朕(ちん)は、汝(なんじ)、有衆(ゆうしゅう)の
忠誠勇武(ちゅうせいぶゆう)に信倚(しんい=信頼)し、
祖宗(そそう)の遺業を恢弘(かいこう=押し広め)し、
速(すみやか)に禍根(かこん)を
芟除(せんじょ=刈り除くこと)して、
東亜(とうあ)永遠の平和を確立し、
以って帝国の光栄を保全(ほぜん)せんことを期(き)す。
御名御璽( 天皇の署名と印) 昭和十六年十二月八日
http://akaike.blog-freejapan.jp/tag/%E9%96%8B%E6%88%A6%E8%A8%98%E5%BF%B5%E6%97%A5
赤池 まさあき
12月8日は開戦の日
今日は開戦の日です。8月15日は終戦の日でマスコミでも大々的に取り上げられます。しかし、開戦の日はほとんど取り上げられません。終戦があれば当然開戦があるわけで、戦後を考える上で、終戦の日と同様に振り返ってみる必要があると思います。
73年前の今日、真珠湾攻撃をして開戦に立ち至った日本が、どういう「思い」だったか。改めて「開戦の詔勅」を読んでみたいと思います。
開戦の詔勅(正式には「米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書」)
●(第1段落 日本の成り立ちと、天皇から国民への宣言)
天佑(てんゆう=天のたすけ)を保有(ほゆう)し、
万世一系(ばんせいいっけい=永久に同一の系統が続くこと)の
皇祚(こうそ=皇位)を践(ふ)める大日本帝国天皇は、
昭(あきらか)に 忠誠(ちゅうせい)勇武(ゆうぶ)なる
汝(なんじ)、
有衆(ゆうしゅう=君主から人民を呼ぶときの語)に示す。
●(第2段落 米英国への開戦の決意、国家国民一体を強調)
朕(ちん)、茲(ここ)に米国及(およ)び英国に対して
戦(たたかい)を宣(せん)す。
朕(ちん)が陸海将兵は、全力を奮(ふる)って交戦に従事し、
朕(ちん)が百僚有司(ひゃくりょうゆうし=多くの官吏役人)は、
励精(れいせい)職務を奉行(ほうこう)し、
朕(ちん)が衆庶(しゅうしょ=一般の人々)は、
各々(おのおの)其(そ)の本分を尽し、
億兆(おくちょう=万民)一心(いっしん)にして
国家の総力を挙げて、
征戦(せいせん=敵地での戦い)の目的を達成するに
遺算(いさん=計算違い)なからんことを期(き)せよ。
●(第3段落 歴代天皇の東アジアの安定と世界平和への思い)
抑々(そもそも)、東亜(とうあ=東アジア)の安定を確保し、
以って世界の平和に寄与(きよ)するは、
丕顕(ひけん=偉大さが明か)なる皇祖考(こうそこう=天皇の祖父・明治天皇)、
丕承(ひしょう=偉大さを受け継ぐ)なる皇考(こうこう=先代の天皇・大正天皇)の
作述(さくじゅつ)せる遠猷(えんゆう=長期構想)にして、
朕(ちん)が拳々措かざる所(けんけんおかざるところ=常に慎み願ってやまない)。
●(第4段落 国際友好と共栄は国是、米英両国との不和は不幸)
而(しか)して列国との交誼(こうぎ)を篤(あつ)くし、
万邦共栄(ばんぽうきょうえい)の楽(たのしみ)を
偕(とも)にするは、
之亦(これまた)、帝国が、常に国交の要義(ようぎ)と
為(な)す所(ところ)なり。
今や、不幸にして米英両国と釁端(きんたん=不幸の始まり)を
開くに至(いた)る。
洵(まこと)に已(や)むを得(え)ざるものあり。
豈(あに)、朕(ちん)が志(こころざし)ならんや。
●(第5段落 昭和12年からの支那事変は分裂国家支那が原因)
中華民国政府、曩(さき)に帝国の真意を解(かい)せず、
濫(みだり)に事を構えて東亜(とうあ)の
平和を攪乱(こうらん)し、
遂(つい)に帝国をして干戈(かんか=武器)を
執(と)るに至(いた)らしめ、
茲(ここ)に四年有余を経たり。
幸(さいわい)に、国民政府、更新するあり。
(蒋介石の重慶政府から汪兆銘の親日南京政府へ)
帝国は之(これ)と善隣(ぜんりん)の誼(よしみ)を結び、
相(あい)提携(ていけい)するに至(いた)れるも、
重慶に残存(ざんぞん)する政権(蒋介石国民党政権)は、
米英の庇蔭(ひいん=ひさしのかげ)を恃(たの)みて、
(英米ソから援蒋ルートで支援を受ける)
兄弟(けいてい)尚(なお)未(いま)だ牆(かき=壁)に
相鬩(あいせめ)ぐを悛(あらた)めず。
●(第6段落 米英両国の東アジアでの策謀)
米英両国は、残存政権(蒋介石)を支援して、
東亜(とうあ)の禍乱(からん)を助長し、
平和の美名(びめい)に匿(かく)れて、
東洋制覇(とうようせいは)の非望(ひぼう)を
逞(たくまし)うせんとす。
剰(あまつさ)え与国(よこく)を誘(さそ)い、
帝国の周辺に於(おい)て、
武備(ぶび)を増強して我に挑戦し、
更に帝国の平和的通商に有(あ)らゆる妨害(ぼうがい)を与へ、
遂に経済断交を敢(あえ)てし、(石油禁輸等のABCD包囲網)
帝国の生存(せいぞん)に重大なる脅威(きょうい)を加う。
●(第7段落 日本の平和努力が無為に)
朕(ちん=昭和天皇)は、政府をして事態(じたい)を
平和の裡(うち)に回復せしめんとし、
隠忍(いんにん)久しきに弥(わた)りたるも、(日米交渉の実施)
彼(かれ=米国)は毫(ごう)も交譲(こうじょう)の精神なく、
徒(いたづら)に時局の解決を遷延(せんえん)せしめて、
此(こ)の間、却(かえ)って益々(ますます)経済上、
軍事上の脅威(きょうい)を増大し、
以って我を屈従(くつじゅう)せしめんとす。(ハルノートの提案)
●(第8段落 東アジアの安定と自存自衛の戦い)
斯(かく)の如くにして、推移(すいい)せんか。
東亜安定(とうああんてい)に関する帝国積年(せきねん)の努力は、
悉(ことごと)く水泡(すいほう)に帰し、帝国の存立(そんりつ)、
亦(またこ)正に危殆(きたい)に瀕(ひん)せり。
事既(ことすで)に此(ここ)に至る帝国は、
今や自存自衛(じそんじえい)の為、
蹶然(けつぜん)起(た)って、
一切の障礙(しょうがい)を破砕(はさい)するの外(ほか)
なきなり。
●(第9段落 天に誓い国民を信頼、東アジア永遠平和と日本の名誉)
皇祖皇宗(こうそこうそう=天照大御神から歴代の天皇)の
神霊(しんれい)、上(かみ)に在(あ)り、
朕(ちん)は、汝(なんじ)、有衆(ゆうしゅう)の
忠誠勇武(ちゅうせいぶゆう)に信倚(しんい=信頼)し、
祖宗(そそう)の遺業を恢弘(かいこう=押し広め)し、
速(すみやか)に禍根(かこん)を
芟除(せんじょ=刈り除くこと)して、
東亜(とうあ)永遠の平和を確立し、
以って帝国の光栄を保全(ほぜん)せんことを期(き)す。
御名御璽( 天皇の署名と印) 昭和十六年十二月八日
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