今までお付き合いいただき
本当にありがとうございます。
 
なんとか伝えたいという
思いで始めたブログが
こんなにも皆様に読んで
いただけるものに
なるとは、思ってもいませんでした。
心から感謝いたします。
 
 
ここで1度、徐々に過去の投稿を
すべて非公開にさせて
いただきます。
 
次の投稿はモラハラが
完全に終わったときと
決めています。
 
モラハラが終わるのは
貞彦さんが記憶をなくすか、
命がなくなる時です。
 
どのぐらい先になるかは
わかりませんが、
私は貞彦さんより長生きする気満々
なので、その時は今まで書けなかった
詳しい調停の内容、嫌がらせ、貞彦さんとの
終わりをすべて書き
ブログを完結させようと
決めています。
 
モラハラが続く限り
ブログもまだ、私の中で続きます。
 
もしかしたら数十年後に
なるかもしれませんが、
その時は、また会いたいです。
とても会いたいです。
 
 
ここで1度だけお別れに
なりますが、どうかお願いを
聞いてください。

 
絶対に生きていてください。
お願いします。

 
本当にありがとうございました。
            まぁみ

 

 


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最高の女性

貞彦さんが隠していた
洗脳や奴隷の作り方が
まとめてあるノートを
見つけた時に
私の目は覚めたけれど、
こんなにも信じ込まされてしまうもの
なのかと思うと、なにも信じられなくて
これから生きていける
きがしませんでした。
 
そう思いながらも
やっと家をでることができ、
サバ子と再会した時
私はサバ子に疑問と不安を
すべてをぶつけ、
サバ子はそれ1つも
落とさず、全身で
受け取り答えてくれました。

 
「モラハラにあいやすい
 女性って自己肯定感が低いって
 書いてあったけど、
 どうすればよくなるんだろう」
 
「そうやって、また自己肯定感が低い~
 って落ち込むともっと低くなるよ」
 
「あぁ…、ほんとうだ」
 
「ねぇ、モラハラにあって
 無事に脱出できた女って、
 普通の男からしたら最高にいい女
 だと思わない!?」
 
「なんで?」
 
「だって、とんでもない忍耐力
 身につけたでしょ。夫の要望に
 1ミリの誤差もなく答えようと
 するし、それでも責められて、
 さらに奴隷化しても命捧げる
 勢いで尽くすんだから。
 
 これをモラハラじゃない
 男にやったら、ほんの
 ちょっとだけで
 『ありがとう』って喜ばれるよ。
 
 仕事をして帰ってきたら
 三ツ星レストランより
 ナイスタイミングで
 自分好みのご飯はでてくるし、
 家事も全部自分にあわせて
 やってくれる女は
 最高でしょ」
 
「たしかに責められることが
 当たり前になっているから、
 なにも言われないだけでも
 ほっとする」
 
「でしょ。普通の男なら
 最高の女ってなるし、
 モラハラを受けた側は、この程度で喜んで
 もらえるなんてって、もっと頑張れるし、
 お互いが思いあえる幸せ
 な2人になれるよ」

 
この話そのものが、
私の自己肯定感を
あげてくれているのだと
サバ子の愛情を深く
感じました。
 
モラハラにあった
私はダメな私ではなく、
モラハラにあって
気がつかないうちに
『鍛えられた女』
になってるよということを
教えてくれました。
 
そして、こんな形だったけれど
いい女になったのだから
これからの人生はうまくいく
といってもらっているようでした。

 
モラハラ、DV,不倫、金銭トラブル…
結婚をする時は、
誰だって自分の愛した人に
かぎってそんなことは
ないと思うものです。
 
けれど本当に悪い心を
持っている人は愛しているフリも
うまく、その正体を
表しません。
 
でも、気が付けたなら 
そこからは、自分次第に
なります。

子供がいたり、体調の都合で
すぐに家を出ることが
できない場合もたくさんあると
思います。
 
ならば、せめて
自分の心を相手から
取り返してほしいです。
 
支配されているフリを
しながら、傷つけられた
自分の心を
そっと、本来あるべき
自分の中へ戻して
あげてほしいと思います。
 
 
子供と自分のために
どうか、生きてください。
 
 
 
 


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私が貞彦さんと出逢い
学んだことです。
 
本当の泥棒が唐草模様の風呂敷を
もたず、普通の人のふりをするように、
モラハラも普通のふりをして社会に
います。

その中でも真のモラハラこそ、良い人
といわれる中に混じっているのだと
知りました。
 
完全に避けることは
難しいと思います。
 
でもそういう存在が
いるということを知っていれば
気がつき、早く逃げることも
できます。
 
 
当時、私は何も知識がなく、自分が悪いと
思い込み信じきっている時は、
友達にも連絡を返しませんでした。
 
連絡を返す時間すら
惜しいほど、自分がダメだと
思い込み元夫の理想通りの
家事をやらなくてはと
必死だったからです。
 
浅い関係の友達は
返信を返さず
疎遠になりました。
 
仲のよかった友達は
返信をしなくても、
数ヶ月後ぐらいに
もう1度、気を使って
メールをくれます。
 
それでも返信をしないでいると
友達はいなくなり、
日常はすべて元夫に
捧げるような毎日になりました。
 
サバ子もその1人でした。
返信をしない状態で1年がたった時、

 
「ねぇ~、毎日つまらないんだから
 たまには、面白い話のメールぐらい
 かえしなさいよ」
 
 
と、きました。
私は、それを読み
ますます心の中で
(忙しすぎて
 そんな話をする時間なんてないから)
と思い、返信をせずサバ子も
失いました。
 
そしてついに疲れ果て、
徐々にモラハラの存在がわかった時、
今更、無視し続けた友人に
メールをどう送っていいかも
わからず、家をでることだけを
考えます。
 
そこへ、ずっと無視を続けていたにも
かかわらずサバ子からメールで

 
「いーかげんにしなさいよっ!
 何年返事まってると思ってんのよ。
 友達やめるからねっ」

 
と、たくさんの怒りマークを
つけたメールがきました。
ありがたかったです。
 
丁度、家をでる前の
警察へ相談にいっている頃で、
家をでることへの恐怖、疑心暗鬼
にとらわれて正常な気持ちでは
いられませんでした。

サバ子にすぐ電話をすると
大笑いして

「ここまで言わないと
 返事もしないなんて、まったく!
 どれだけ旦那と
 ラブラブしてるんだよっ」

 
そういってくれ、
私は何で今まで返信をしなかったか
理由をはなしました。
すると即答で
『今から夫にワゴン車のレンタカー
 借りにいかせて、そっちにいくから
 ぷう助と荷物まとめてまってなさい』
と、いってくれ大泣きしました。
 
警察や行政に力をかりていて、
計画通り家をでれるということを
伝えると、そこから長いサバ子の
叱責だったけれど
叱責が続くほどに、私が元の
私に少しずつ戻りました。
 
私は、なんでこんなに
自信をなくしたのだろうと
疑問を感じはじめます。
 
 
続きます。

 


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天が涙する空

ダンボールの記録をまとめ
終った時の記録です。
 
※刺激の強い部分が
あります。精神的に辛い状況に
ある方、落ち込んでいる方など
無理して読み進めないよう
ご注意ください。
 
 
 
〈天が涙する空〉
 
記録をすべてまとめ終わると、
過去の優しい人たちに会いたくて
どうしようもなくなる。
 
皆が記憶から
消えてしまわないように
という気持ちもこめて
まとめたのに、ますます
会いたくなってしまった。
 
唯一、連絡をとっているのは
半年に1回くらい
会っているリサちゃんママと、
貞彦さんが病気かもしれないと
教えてくれた彼。
 
彼とは年明けの挨拶をメールで
するぐらいの関係。
 
そのことを思い出した時、
今年はメールがきていなかった
事にきがつく。
 
きっとお仕事がうまくいって
忙しいんだなと思った。

数日後、通勤途中の
電車の中でふと思い出し
スマホで彼の会社を検索してみた。

『●●の子会社となりました』
 
いきなりHPに大きく掲載されている。
親元の会社はライバル会社
だったはず。
 
これは、悪い事実として捉えなくては
いけないのだろうなと思った。
 
新しいHPの役員名をみると
知らない名前ばかりの中、彼と一緒に
事業を立ち上げた友人の
名前だけが載っていた。
 
あの時、彼からの話で
事業を立ち上げた際
戦友と呼んでいる友人がいて、
その戦友が宣伝もかねて
ブログをやっていると教えてくれた。
 
それを思い出し、戦友の名前を
検索してブログを探すと
探すまでもなくあった。

更新は子会社になる前で
とまっている。
どんどん過去へ読み進める。

 
「『志を受け継ぎます』
 苦楽をともした仲間が
 天国へ旅立ちました。
 無念です。
 一緒に会社をおこし、戦ってきた
 のに。
 彼の思いと功績を受け継ぎ
 前へ進もうと思います」

 
彼と戦友は2人で会社を
おこしていたはずだから、
これを読んで、彼は亡くなった
のだと知った。

お昼休みに戦友といわれる人へ
メールを送ると、夜には返信がきて
そこから数日間やりとりが続く。

戦友といわれる人は、
私の事は貞彦さんのことから
すべてを彼からきいていて
知っていたという。
 
彼の死因は自殺。
私と会う前から
進行性の病気で、仕事が
出来なくなる前に
なんとか目指しているものを
完成させたいと力を
振り絞っていた。
 
けれど、あと一歩
というところで症状が
重くなり残りを託し、皆に迷惑を
かけたくないという思いから
首を吊る。
 
その現場の床には
レジャーシートが
敷かれ、彼は介護用の
紙おむつをはいてたとの
ことだった。
 
それは、首をつると
口や鼻から液体がでて
床を汚してしまわないようにと、
オムツは汚物がでて、自分を運ぶ人が
できるだけこまらないようにする
為だという。

会社は彼が開発したもの
のおかげで、ライバル社の子会社に
なることができ倒産をまぬがれた
と教えてくれた。

 
悲しい。
彼のお墓は遠方で
お花を添えにいくことが
できないので、彼の宗派をきいて
うちから近い同じ宗派のお寺へ
いくことにした。
 
半休の日、お寺へ行き
ご住職さんと少し
お話することができた。
 
彼の告別式の時、
天気予報では晴れだったのに
朝から雨で、みんなびしょ濡れに
なったらしいという
お話をすると
 
「天が惜しい人を亡くしたと
 泣いていたのですね」
 
そういわれ、私も
その場で涙がでた。
どんな状態でも
生きていてほしかった。
 
でもずっと
奥様に会いたかったんだろうな
と思うと、奥様を亡くされてからの
お務め、本当にお疲れ様でしたと
思う。
 
ここまでの人生の中で
出会った優しくて大好きな人たちへも、
 
本当は会いたいけど
会えなくてもいい。
生きていてくれれば
それで十分。
 
でも、肉体が終わりを迎えるまで
どうか死なないで
最後の最後まで、一緒に
生きていってくださいと
枯れることのない
心の声で叫ぶ。
 


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皆様へ

いつも読んでいただき
ありがとうございます。
 
心温まるコメントをいただき
ありがとうございます。

ブログのことについて
訂正がありますので、お知らせ
させていただきます。
 
このブログについて、
終了した後もそのまま
公開を続ける予定
だったのですが
色々な方からの
アドバイスをいただき
変更することになりました。
 
悔しい思いでいっぱいですが
6月末ごろで1度
すべてを非公開に
させていただきます。
 
けして、貞彦さんに特定された
というようなことでは
ないので、どうかご心配なく
よろしくお願い致します。
 
この先も貞彦さん
との切れない関係は
続いていきます。
 
貞彦さんが、このブログに
きがついたところで
私にいきなり何かをしてくる
ことはまずないです。
 
想像できるのはブログの
運営側に
『被害が出ている情報開示しろ』
と周囲に難癖をつけ騒ぎをおこして
から、じわじわと
せまってくるような気が
します。
 
何事も起きないうちに
閉じさせていただきますが、
ただ時間はいい方向にも
流れます。
 
私にも夢にみていた幸せな
未来がきたり、貞彦さんの
確定できない病気がどうなるのか……
公開できる環境になりましたら、
また再開させて頂きたい
と思います。
 
そのころには、今、悩んでいる人や
苦しんでいる人が
私とここで再会する時間が
ないくらい、幸せな事がいっぱい
すぎて、いそがしくなっていて
欲しいです。
 
 
 
またブログを読んでいてくれた
知人から
「読むことが日課になっていて
 なくなるのが惜しい。
 何もない日常でも、なんでもいいから
 読むものちょうだい」
と、嬉しい言葉をいただきました。
 
しかし、貞彦さんのことを除くと
私の私生活は、平凡な毎日の
連続で、それがを維持できている
ことが幸せで、書ける事が
なにもないのです。
 
ならば、
 
『なんでもいいから』
 
ということだったので、
知人自身の素敵な
家族の幸せをまったりと
1つの家族の備忘録として、
私はカメラマンのように
記録しようと思いました。
 
まだ、何をいつ始めるのか
は未定ですが、
いつか、どこかで
素敵な家族のお話で、
ちょっと周りとは違う
書き方になってしまっている
ブログがあったら、多分私です。

1つのブログは、
あと少しで終わりをむかえますが、
世間はせまいといわれるように
この画面の世界も、
クリック1つで
どこでもドアより
早くたくさんのところへいける
ので、この世界はもっと広くせまい
のだと思います。
 
気がつかないだけで、同じところを
みて何度もすれ違っている
はずです。
きっとお会いできているのだと
信じています。

残りの時間、できるかぎり
の思いをこめて
投稿させていただきたいと
思います。
本当にありがとうございました。
 
 


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ぼくの血

ぷう助が実家へ行くことを
楽しみにしていた頃の
ことです。

 
 
〈ぼくの血〉

 
ぷう助はシュークリームが
好きで、たまにスーパーで
一口サイズのシュークリームが
12,3個入っているものが
特売になると、食後のデザート
として買ってあげることに
していた。
 
シュークリームがデザートの
夜は、算数の勉強にもなっていて
最初に全部で何個あるかを数え、
私と半分にすると、1人何個に
なるかという計算をする。
 
それが出来ると、
今日と明日で同じ量をたべると
したら1回に何個食べられるか
など、お皿に並べて一緒に
楽しく答えあわせをしてから
食べていた。
 
兄弟がいれば、もっと自然に
分け合うことから勉強も
学べていいのになぁ、
と思いながらも私が代役を
する。

 
夕食後、いつも通りぷう助が
喜ぶと思い、袋ごと
シュークリームを
渡したものの全然
嬉しそうな顔をしない。

 
「ねぇ、お母さん」
 
「なに?」
 
「僕の血って半分は
 あのお父さんの血なんだよね」
 
「……うん、そうだね」
 
「だから僕もああいう人に
 なっていくんだ、どうしよう
 お母さん!」

 
ぷう助は思いを
話し終えると重く悲しい
顔になっていた。
 
誰の血が入っていようと、
ぷう助は私の子で血なんて
関係ない。
 
それに血のつながりがなくても
里親や養子縁組で幸せな
親子だっていっぱいいる。
 
『血じゃないんだよ』
 
と、いいたいけど
それで納得できるのだろうか。
このことで自分を嫌いに
させたくはない。

 
「実は今までぷう助には
 いわなかったんだけど、
 そのことでお母さんは
 心の中でずっと
 『ご先祖様ありがとうーーー!』
 って思っていたんだよ。
 血には、ばぁばや、ひーじいちゃんとか
 みんなの遺伝子っていうのが
 はいっているから、すごいの」
 
「でもお父さんのも
 はいってるんでしょ?」
 
「確かにお父さんには
 酷いことをされて
 たくさん、嫌な気持ちに
 させられたよね。
 
 だけど、お父さんは勉強を
 ちょっとしただけで100点
 取れる人で、学校ではいつも
 選ばれていたんだよ。
 ぷう助が漢字テストで
 いい点数をとれるところは
 お父さんに似たんだって
 思う。
 
 でも、ぷう助はお父さんと
 違ってすごく優しいし、
 顔もいいよ!お友達も
 たくさんいるでしょ。
 
 そこはお母さんに似たんだよ。
 お母さん、勉強は出来ないけど
 めーちゃくちゃ優しいし!
 そこそこ美人!でしょ。ね、ね??
 助けてくれる友達もいる。
 だからぷう助は、お父さんと
 お母さんのいいとこどり
 だったって事。
 
 これは万々歳!お父さんと
 お母さんのご先祖様が
 それぞれのいい所をだしあって
 ぷう助が最高の人生になるような
 血にして作ってくれたんだもん」
 
「そっか。よかったぁ」

 
ぷう助は安心した顔を
したけど、それを見て
私の方がもっと深く
ほっとした。
 
 
ぷう助は、その後
シュークリームを
わけて、いつもは
余るとジャンケンをするけど
ご先祖様にあげるといい
小皿にのせる。
 
私はそのシュークリームを
見て、幼いころ
大事にしてくれた
ひーばあちゃんの顔が
久しぶりに浮かび、
一緒に笑いながら食べている
気がした夜だった。
 
 
 
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いただきましたご質問への

回答です。

 
 
 
〈過去のモラハラ経験は
どうやってふっきれたのか〉

長い時間の中で蓄積された傷は
なにかで劇的にふっきれる
ということはなく、
時間の流れと、その流れの中にある
小さな幸せを増やしていくことだと
思います。
 
思い出しては痛む
心の傷があっても、それよりも
幸せが多くなると、毎日を
自然と笑ってすごすことが
できました。

 
〈このブログをモラハラ関係の
 お話あいに使用してよいか〉
 
使用してください。お読みいただける方が
 もっともっと幸せな人生になることを
 願っています。
 
 
〈頭痛はどうなったのか〉
 
頭痛は、術後リハビリへ定期的に通い
体質に合う薬を探したりしながら
良くなっていきました。
 
ただ、完全に頭痛がなくなった
というわけではなく
仕事量を増やしすぎたり、
風邪のひきはじめなどは
頭痛がでてくるので
身体が不調を訴える
最初のサインとして
とらえています。
 
体調の事をご心配いただき
ありがとうございます。
 
 
〈貞彦さんの秘密のノートは
 裁判でいかされたのか〉
 
いかされませんでした。
ノートを証拠とする訴えは
慰謝料請求ということになります。
長引く裁判の中で親権の問題も
あり、最後は慰謝料を請求しない
ということを含めた
示談で離婚したので
使えませんでした。

 
〈恋愛も制御されるような
 生活で100%幸せといえるのか〉
 
もし恋愛が中心の生活を
おくっていたならば、幸せとは
いえないです。
 
けれど私の生活は恋愛も含め
息子、自分の健康、親兄弟、友人、お金、
趣味、仕事…とたくさんの
ことで成り立っています。
 
100%を「これ以上にない」
という言葉に置き換えて考えてみると
息子、親兄弟、友人にたいしては
これ以上になく私は幸せです。
 
お金は、あればあるだけ
欲しいので一生100%
になりません。
 
今回、ご質問いただき
私の幸せとは?と考えてみると
このような思いになりました。
 
でも実際は、日々息子の
頑張っている姿や、実家で
たくさんの友人たちと
おしゃべりをしている時間などに、
心から自然にでる
「幸せだな」という思いが
生れる事が私の幸せです。

 
〈元夫の恋人〉
 
おそらく新しい恋人が
出来たのだと思います。
病気の事は確定していることでは
ございませんが、
どんな状況だとしても私の所へ
こないことを願っています。

 
〈結婚する前の家族間での
 恋の話はなかったのか、
 結婚後、実家に帰らず暮らす
 ことは負担ではなかったのか〉

同じ屋根の下で暮らしていると
気がつかれたくなくても、
デートをする日などは
いつもと違う洋服や
メイクでばれてしまうので、
「デートいってくる~」
ぐらいの軽い会話
はしていました。
 
結婚後ですが、実家と新居が
離れていたという理由もありますが、
私にも、今となっては幻のような
新婚時代がありました。

早く仕事が終わって帰ってこない
かなかな、
週末はどこかへ遊びにいけるかな、
など、まだモラハラの姿をしる前で
普通の新婚をあじわっていたので
実家はたまに
帰るぐらいでした。
 
その状態から、なにも気が付かず
じわじわと家事が終わらなくなり、
友人へのメールも返信する時間すら
なくなって、
最後は母への連絡もすぐに
かえせなくなりました。
この時は、
 
実家にはいきたいけど
時間がない、
 
とよく思っていました。
 
 
 
以上になります。
ご質問いただき、ありがとうございます。
最後まで読んでいただき
ありがとうございました。
 
 

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沢山のメッセージをいただき

ありがとうございます。
 
1日たち、本当に終わったんだ
という気持ちです。
 
ブログの更新作業は
とても大切な
事として行ってきました。
 
そのいつもやっていることが
無くなるというのは、
なんだか、自分の一部が
消えてしまったような
感覚で静かな淋しさが
あります。
 
 
ご質問にいただきました、
ブログの今後ですが
ご質問、書き飛ばしたところ
の投稿が終わった後も
大きな問題が起らない限り、
すべてを公開した状態で
そのままにする予定です。
 
 
 
ブログを始める時、
どこで終わるかということを
考えました。
 
家から脱出できて
終わりにしようか、
離婚裁判が終わった時にしようか、
幸太郎さんとうまくいかなかった
で終わろうか。
 
けれど現実は家をででから
新たな戦いが始まります。
 
その後、出会いがあっても
現時点で乗り越える事は
できず、私か貞彦さんが
死ぬまで平行線で
続くんだと思っていると、
さらに貞彦さんの彼女という
新たな火種が現れます。
 
平行線どころか、また燃え上がって
いく、ということに
いつまでもお終われないんだと
思いました。
 
なので、ブログもすっきりと区切りを
つけるモラハラとの決別ではなく、
今の終れていない
状態そのままを
書ききろうと思い、過去が
今に追いついた時を区切り
としました。
 
 
 
最後に書いた
「ブログにしようと
思った理由」
ですが、うまく
書ききれずにすみません。
 
後日、見直して
訂正をしようと思います。
 
貞彦さんの彼女を
知った時、新しい被害者を
ださないようにしなくては
と思いました。
 
これは私にも繋がっていて、
被害者が前被害者に
嫌がらせをするように
仕向けるなんて最悪です。

モラハラの餌食になる人が
いなくなれば、私も
こんなめにあわなくてすむ
という思いもあり
ブログをやろうと思いなおしました。

残りの投稿の合間に
モラハラとは関係ない、
残しておきたいことも
投稿しようと思うので
読み流していただけたらと
思います。
ありがとうございました。
 
 
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約11ヶ月、お付き合いいただき
ありがとうございます。
 
途中でコメントに
お返事をすることが
できなくなり申し訳ございませんでした。
 
これから頂きましたご質問、
書きとばしたところの
投稿がすべて終わりましたら
ブログ全体を終わりにさせて
いただきます。
 
もしよろしければ、
投稿予定の書き飛ばした
部分までお付き合いただけたら
幸いです。
 
今は、このほかに
何の言葉も浮かんできません。
感謝でいっぱいです。
本当にありがとうございました。

 

 


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ブログをスタートしてから
約11カ月。
 
今日、過去が現在に
追いつく。
 
どうやっても小説みたいになって
しまい嫌いだった文章は、
ブログを始めてすぐに
その書き方を褒めてくださる
方や楽しみにして下さる方の
おかげで救われることに
なった。
 
私が逆に救われてしまったけど、
ひとつでも何かになれただろうか
と思い、頂いたコメントを
読み返すと、また温かい
コメントに胸が熱くなる。
 
白黒の文字の世界で
お互いに顔がわからないのに、
心がとても近くに感じる
このブログを終わらせることは
切ない。
 
いつか一緒にランチをして、
モラハラのあるある話をしたり
情報交換したりできたら、
盛り上がって楽しかっただろうな
と思う。
 
でも、顔がわからないからこそ
もしかしたら、お隣さんや
ぷう助と同じ学校のお母さん
かもしれないと思うと、
いままで以上に、周囲の人や
出会った人を大切に思う気持ちが
こみ上げてくる。
 
 
本当に感謝ばかりの
皆様に作って頂いたブログ。
 

本日でこのお話は
終わらせていただきます。
 
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