大人の嗜み★
芝公園近くにあるバーに最近行くようになった。そのバーは地下にあり、洒落た大人の隠れ家のようなお店だ。
そのバーに最近、1人の青年がアルバイトで雇われている。
身長は高く、細身でイケメン。笑顔も素敵である。おまけに大学は慶應ときた。文句のつけようがない。
就職の話になったときに彼は言った。
「大人になるって、自分だけの『バランス』を見つけることだと思うんです。組織か個人か。金かやりがいか。自分か相手か。完全にどっちかに偏っては人は生きていけません。自分にはどっち側がむいているか見つけて、過ごしやすい環境をつくっていく。そこに大人ならではの楽しみがあるんじゃないでしょうか。」
なるほど。
例えば組織と個人を例にあげよう。
大きな組織に属すれば、仲間が多い。しかしその分、組織の中で自分のポジションを獲得しないと目立つ人間の影に隠れ、地味な生活になってしまう。あれ、あいつ誰だっけ?みたいな。
逆に小さい組織あるいは個人だと好き放題やれるし、組織のなかで自分がどう見られているか考える必要がほとんどない。他人の目をそんなに気にしなくてよくなるのだ。ただし、仲間はそれほど増えないし、完全に個人の場合は常に孤独がつきまとう。
束縛と仲間
自由と孤独
どちらがいいだろうか。大多数の人は上を選ぶだろうが、大成功(お金を億単位でもらい、好きなことができる)は下から生まれるから、どっちがいいかは本当に人それぞれだろう。
いいところだけとることはできない。
子供の頃は未来に無限の可能性が広がっていた。それが年を重ねるにつれ、現実と向き合わなければいけなくなる。当然、切り捨てなければならないものもたくさん出てくるのだ。その現実を受けとめ、バーの青年がいう「バランス」を見つけるころが大人になることだと思う。
個が輝くとき
東大だから、電通だから、政治家だから、医者だから、弁護士だから、あの人はすごい。
それはその人自身を誉めているのではない。ただ属している組織を誉めているだけだ。
イチローは野球選手だからすごいんじゃなく、イチローだからすごい。羽生さんは棋士だからすごいんじゃなく、羽生さんだからすごい。
権威にぶらさがるのは簡単だ。だけどそこには自分がない。
組織にたよるのではなく「個」を確立すること。
組織の中で成果をあげても組織の成果となってしまう。個人として成果をあげればその名は世界に轟く。
もともと組織はある目的を達成するために集まった集団だ。企業だって同じ。トヨタは世界中に車を提供してより暮らしやすい社会をつくる。東京海上日動火災保険は企業が成長するためのリスクを負担し、その成長を支援する。フジテレビはテレビを通して人に楽しみ、喜びを与える。
組織の目的と自分のやりたいことが合致しなければその組織に属する必要はない。金を得る目的でどうしても組織に属さねばならないときは、将来「個」として独立するためのステップとなるよう、戦略的に組織 に入るべきだ。
流される人たち
みなさんは自分がどう生きていきたいか真剣に考えたことがあるだろうか。
まわりが就職活動始めたから、とりあえず自分も始める。みんな大企業の話ばかりするから自分も大企業を受ける。名の知れた企業なら倒産はないし、給料もいい。将来安泰だ。業務内容はよくわかんないけど、なんとかなるだろう。それに大企業の内定もらったらまわりからの評判もよくなる。
多くの大学生はこんなことを考えて、もしくは考えもせずに就活をしていると思う。
でも考えてみよう。人間一人としてまったく同じ性格の人はいないのだ。それなのにみんな同じ仕事をしてみんなが充実した時を過ごせるとは思えない。大企業の営業なんて仕事内容にたいして差はない。
ある人にとって時間を忘れるほど熱中できる仕事でも、別な人にとっては苦痛の時間なのだ。
ひとつのことがうまくいっていると他のことにも自信がでてくる。みなさんにもそんな経験があると思う。だから仕事を楽しめる人はプライベートも充実する。
仕事に熱中できる人は人生が輝く。ただなんとなく、生きていくためにやらなきゃいけないことをこなすだけの人はしぼんでいく。それは自明の理だ。
流されるのは楽だし簡単だ。まわりと一緒だからなにもこわくない。ただしそれは真に自分の人生を生きているとはいえないと思う。組織のトップの駒として操られているだけなのだ。組織の中で努力してどんどん出世してもそれはポーンがクイーンになるようなもの。駒を操作する人間にはなれない。
小さな盤の上で意思なく動かされるのか、それとも駒を動かす人間になりゲームを楽しむかはあなた次第だ。
