二の打ち要らずとは、19〜20世紀に中国で活躍した、八極拳の達人、李書文に与えらた称号です。
八極拳とは、日本の武術家、松田隆智氏によって当時、中国武術は、少林寺拳法か太極拳しか認識されていなかった時期に紹介された、中国武術の流派です
松田隆智氏は、剛柔流、示現流、大東流合気柔術などを修め後に中国に渡り、武術を学び、主筆された著書が、八極拳を題材にした格闘少年漫画「拳児」の原作になった事でも知られています。
その中でも、八極拳最強の使い手として、李書文が紹介され、李書文を描いた外伝が出版されています。
李は、その後八極拳の達人、金殿陞に弟子入りし、医療にも精通する金殿陞元、八極拳を修行しました。
李の実力は、凶拳李と恐れられるほど、激しく
大会では、しばしば一撃で対戦相手を死に至らしめてしまったそうです。
李書文の武勇伝には数々の必殺必倒劇があり、彼は二の打ち要らずと称されるに至ったそうです。
今日に置いても李は、八極拳最強の拳士として多くの人々に認知されていますが、彼は本当に史実で語られる様な人物なのか、疑問を私なりに解釈して行きたいと思います。
まずは、李が武術大会で対戦相手に対して、牽制の突きを入れたところ、相手はその一撃で死んでしまったと言うものです。
確かに、李の突きは、歴史に名を連ねる武術家ですのでとても強烈なものだったのでしょう。
ですが、いくらなんでも大の大人が突きだけで死んでしまうものでしょうか?
だったら、間違い無く李より体格の優れるマイクタイソンは、文字通り死体の山を築いていたでしょう。
おそらく、当時の中国では、打ち合いのある大会が多く開催されていて、なおかつ参加する武術家達は、日頃から激しい練習をしていた為、体に深刻なダメージを抱えていたと思います。
さらに、当時は医学もろくに発展していなかった為、何らかの持病、感染症を患っていたかもしれません。
そこに、強烈な李の突きが当たれば、対戦相手の体は突然、心臓発作を起こして、あたかも李の突きだけで、絶命してしまった様に見えたのではないでしょうか。
また、李が仲良くなった武術家に手ほどきをしたさい、牽制の突きを入れたところ、軽く突いたのに即死してしまったと言う、逸話もありますが、もしかしたら、上記のとうり持病や疾患があり、おそらく李が気を許したのは、お酒を注ぎあって、お互いに酔っていた状態だったのではないでしょうか。
みなさんもご存知のように、お酒に酔っている時は、とても血圧が上がっています、ですから李が突いた拍子に心筋梗塞でも起こしてしまったのではないでしょうか。
李が最初に武術を習った、金殿陞は李の目には危険な光があると、後を危惧して李には、あまり技の継承をしなかったが
それが、かえって数手の技だけを磨き李が、凶拳李と呼ばれるに至った、と聞いた事があります。
ですが、そうでしょうか?
確かに人には結果論ですが、金殿陞は医学に長けており、李が脚に大怪我を負っていた為、医学者として、あるいは親心で李には、あまり激しい套路をさせなかったのではないでしょうか。
それが、結果的に李に、「千招(多くの技)を知る者を恐れず、 一招(一つの技)に熟練する者を恐れよ」
と悟らせたのではないでしょうか。
さらに、李が他の門下生と散打をすると、李は相手に怪我をさせてしまうほど容赦がなく凶拳李と恐れられたのも
脚に怪我を負っていたため、フットワークが使えなかった為、(中国の武術では初心者は、技術が浅い為、フットワークを駆使して戦うものとしています)
また、幼かった李は、恩師である金殿陞の手前、いい顔向けをする為に、相手に容赦しないのは彼なりに考えた結果だったのでしょう。
確かに、石壁に鉄棒を突き刺してしまう李の技量もすごいですが
もしかしたら、鉄棒は積み上げられた石壁の石と石の間に上手く挟まったのではないでしょうか。
でしたら、男は、鉄棒にかかる積み上げられた石の重量と格闘していたとなります。
そうなれば、李の腕力とは、一切関係がありません。
何故この話しが李の腕力と結びつけられているのでしょう。
最後に、李書文の死因が2通りある事です。
一つは、病気を患い椅子に座ったまま死亡したものと
もう一つは、毒を盛られて死亡した、と言うものです。
何故1人の人物にも関わらず、死因が2つあるのでしょう。
私の考えは
おそらく李書文は、2人いたと言う事です、1人は史実に残る李本人
もう1人は、李書文と名乗っていた暗殺を生業にしていた刺客だったと思います。
なら何故、彼は自らを時の拳士、李書文と偽っていたのでしょう。
おそらく、要人を暗殺する時、素手による「一撃」で殺害してしまうと思われた方が都合が良いからではないでしょうか。
おそらく、実際の殺害方法は、暗器か毒だと思いますが、もし暗殺を依頼する時、より成功率が高い方にお金をかけると思います。
依頼者は、素手なら警戒されにくいだろと、一撃必殺なら確実に殺害出来るだろうと、彼に依頼した事でしょう。
要人の暗殺に成功して、逃走するさいも、追手を巻く為に、自身をあの、李書文と名乗れば誰もが、凶拳李、二の打ち要らずと連想し恐れ、追う事を諦めたかもしれません。
李書文が活躍していた時代なら皆、李の実力は、刺客家業で培われていると、暗黙のうちに思われていたかもしれません。
用心棒「貴様‼︎主人に何をした、その怪しい技はなんだ」
彼「うーん、そうだなこれは、八極拳かな(本当は、毒、暗器だがな)」
用心棒「八極拳!、(今期の武術大会の優勝門派も八極拳だった)もしや、お前の名前は」
彼「そうだ、俺の名は、凶拳李と恐れられた、あの八極拳の達人‼︎李書文だ
誰しも、俺にかかれば七口から噴血し撒き死ぬ事になる」
李書文の武勇伝には、李に突かれた相手は、七口から噴血し撒き死んだと言われいるので
尚更、暗器による遺体の出血や、毒による吐血も、李に突かれ噴血したのだと不自然に思われなかったのかもしれません。
この様に、李書文が大きな実績を残すなかで、裏では李の名を勝手に名乗り、虎の意を借り
活動していた、刺客も少なからずいたかもしれません。
または、李書文と名乗り、人を脅して恨まれていた偽者もいたかもしれないです。
ですので、李書文が病死したと、同時期に、李書文と勝手に名乗っていた、刺客もとうとう今度は、自分が毒で暗殺されてしまったのかもしれません。
その為、李の家族が、病気で死んだと言っても、別の方で、李書文の暗殺に成功したと、騒ぐ輩がいた為、史実上、李書文の死因は2通り出来てしまったのではと思います。
中国武術の歴史でも、その経緯から、優れた武術家としてではなく、まるで血に飢えた殺人鬼の様な見方をされる李書文ですが
指導者としても優れており。
私の思う、李書文は、幼少期に大怪我をし劇団を追い出されてからも、武術家を志し
幼い頃から、脚のハンデがあっても、弛まない努力で乗り越え、数奇な運命に巻き込まれてもなお
師から受け継いだ武術を、後世に引き継ぎ中国武術界に、
大きく貢献した、功労者だと私は、思います。