前回は、誤字、脱字、人名違い等で浅学菲才を丸出しにした。つまり、この文章は、空前絶後、前代未聞、前人未到の弩阿呆のものだ。笑いで腸捻転起こさぬよう寝転んで読んで戴きたい。
藤村操の『巖頭之感』は、未だ理解出来ないが、冒頭の【悠々たる哉天壌、遼々たるか哉古今】の語感に惚れ惚れする。意味は「果てしない空間、尽きない時間」だろう。准南子によれば、【宇】は空間の広がり、【宙】は時間の広がり、との定義だから【宇宙】は「時空」の意が正しく、「空間」の意は邪道の感じだが、社会はにつれ、いい加減で良いのだ。
さて、藤村操は哲学し、「万有の真相は不可解」の解を得て、煩悶し、それを恨んで華厳の滝へ飛び込んだそうだ。我輩より一億倍くらい明晰なようだが、生物は生きてなんぼのもの、との価値観に立てば、我輩より十億倍くらい無明、平たく言えば、馬鹿だった感じがする。
賢・愚はどうでも良いが、日本は国家を胴元、民衆を強制加入の博徒とする横暴国家で、反逆したいが、その力ないのが無念だ。社会保障制度と云えば聞こえは良いが、年金は博打より非情なルールで、①博徒は25年間義務を負い、②死ねば義務も権利も概ねパー(胴元の総採り)、③よって、年金は「義務=権利」の等式ではない。何が民主主義だ。国家横暴主義だ。
順法精神で反逆の博徒になるには、65歳開始を70歳開始に遅延すれば、支給額は1.9倍となり、77歳あたりで65歳受給者の総額と並び、後はウハウハと云う話に乗るくらいしかなかった。まさに命(寿命)を賭けた丁半勝負である。白寿までくらい生きて、制度を大笑いしつつ死にたいものだ。
年金は社会保障制度と云うが、厚生年金制度は財源に苦しむ政府が戦費調達のために考えたものとか。動機は不純だが、制度としては良い制度かもしれない。共済年金の前身は恩給制度で、国家・地方に奉公したからと云うもので、至れり尽くせりとか。差別社会の典型だ。
