京都ひとり散歩(その8)~大田神社 | 大根役者

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上賀茂神社から、上賀茂伝統的建造物群保存地区を通り、東へ500mくらい歩くと太田神社が左方向に見えてくる。

 

上賀茂神社の境外摂社は太田神社、久我神社。末社は、白髭神社、百太夫神社、鎭守神社、福徳神社、藤木神社、小森神社、半木神社とされている。

 

 

大田神社の参道を進む。鳥居前に架かる石橋右側下の水面から、小さな石が顔をのぞかせている。この石は「蛇の枕」または「雨石」と呼ばれ、蛇が枕にしていたと伝える。蛇は雨を降らせる生き物とされ、この蛇がいる枕のもとに行けば、雨乞いができると考えられた。儀礼は、この枕石を農具(鉄器)などで叩いて行われる。こうすることで、枕を叩かれた蛇が怒って雨を降らせるという

大田神社は、上賀茂神社の境外摂社(第三摂社)だが、創建年代は不詳で、一説には賀茂で最古の神社ともいわれる。古くは「恩多社」と言った。

 

賀茂県主が当地に移住する以前から先住民によって祀られたといわれている。延喜式神明帳で、山城国愛宕郡に太田神社(大田神社)と記載されている式内社に列している。

御祭神は天鈿女命(アメノウズメノミコト)で、芸能の神として崇敬されているが、賀茂最古の神社として、長寿祈願の信仰もある。

 

大田神社の本殿、拝殿はともに寛永五年(1628)に造替されたもの。拝殿は左右に分かれ中央に通路がある割拝殿という形式になっている。

摂末社として、下記の神社が鎮座している。

福徳社(福徳神・足腰の神様)

鎮守社(祭神:大国主神、少名彦神・目の神様)

百大夫社(祭神:船玉神・のどの神様)

白鬚神社(祭神:猿田彦命・老後安泰の神様)

いずれも上賀茂神社の境外末社でもある。

 

カキツバタの神社としても知られている。参道脇の「大田ノ沢」の約2000平方メートルの敷地にカキツバタ約25,000株が自生している。大田ノ沢は平安時代からの名所で、尾形光琳の『燕子花図』のモチーフになった。

大田ノ沢は古代に深泥池と同様に沼地であったといわれ、かつて京都盆地が湖であった頃の面影を残すものであるとして、カキツバタ群落とともに、昭和14年に国の天然記念物に指定された。

文治6年(1190)には、藤原俊成が、紫一色に染まる様子を一図な恋心に例えて次の歌を詠んでいる

 

神山や 大田の沢の かきつばた ふかきたのみは 色にみゆらむ
 

雨乞いのとき、大田の池の水を入れ替えれば雨が降り、長雨のとき、神供寺の池(かつて上賀茂神社の神宮寺にあった池)の水を入れ替えれば雨が止むと伝えられていた。大田の池は満池、神供寺の池は干池とよばれた。

かつて、池には八台竜王が祀られ、八池のうちの一つに数えられていた。

 

上賀茂神社の社家の家に生まれた北大路魯山人が三歳の春、上賀茂神社の東側に拡がる神宮寺山を養姉に連れられて散歩をしている時、「真っ赤なツツジの咲き競う光景」を見た。魯山人に永遠の記憶を残す色彩の渦に「美の究極」を感じ、魯山人は美とともに生きようと決心したというエピソードに基づき、境内後方に「大田の小径」が整備されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

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