8神辺駅の西口には、降りたことがなかった。
2025年3月22日、神辺駅の西側階段に「かんなべにぎわいビジョン2024」のビジョンイラストと神辺高校、神辺旭高校の美術部がそれぞれ神辺をテーマに描いた絵画の階段アートが公開された。
神辺高校美術部の描いた「高屋川」と神辺旭高校美術部の描いた「堂々川」がそれぞれ、神辺駅自由通路の階段に階段アートとして掲出されている。
地域の人々が、主体となるイベントはいい。
西口周辺は、再開発の工事が行われていた。かっての田園風景も住宅街に残っていた。
高屋川をのぞむ小高い丘に鎮座しているのが八皇子神社だ。
ハチオウジジンジャには、八皇子神社と八王子神社がある。八皇子とはアマテラスとスサノオの誓約(ウケイ)により化生した八人の神であり、八王子とはスサノオの八人の子どもを表す。アマテラスとスサノオが行った誓約とは、アマテラスがスサノオの持つ十拳剣を三つに噛み砕き、それから3柱の女神が化生した。多紀理毘売命(タキリビメ)、市寸島比売命(イチキシマヒメ)、多岐都比売命(タキツヒメ)だ。福岡県宗像大社に鎮座した宗像三女神である。次にスサノオはアマテラスの八尺の勾玉をかみ砕くと五つに割れ、それらから正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ)、天之菩卑能命(アメノホヒ)、天津日子根命(アマツヒコネ)、活津日子根命(イクツヒコネ)、熊野久須毘命(クマノクスビ)の5男神が化生した。あわせて5男3女神、これを八皇子と称する。男神を産んだ方が勝ちというウケイであり、スサノオは喜び勇んで長男に正に吾が勝ったぞと「正勝吾勝・・・」と命名したが、それらはアマテラスの持ち物から産まれたのでアマテラスの勝ちとなった。オシホミミの子どもがホノニニギで天孫降臨神話の主人公となる。
アマテラスが、神の神となり、スサノオは宗像三女神を連れて出雲に降り、出雲で、新しい神話を作る。スサノオの王国は、ヤマト政権に組み込まれていく。古事記、日本書紀は、勝者の記録でもある。
八王子とは祇園精舎の守護神である牛頭天王の八人の王子を表す。牛頭天皇がスサノオと習合したために、二つのハチオウジジンジャが生じることとなった。
手水鉢
拝殿
神辺町碇山に鎮座する八皇子神社の祭神は、アマテラスとスサノオの八人の子ども・八皇子だ。寛治元年(1087)造営の古社である。往古は社領九十九貫を有したが、天正13年、毛利氏に没収された。福山志料には、八王子権現と記される。
「猫兒山ニアリ紺屋町早田等産土(うぶすな)トス。寒水寺記録ニ二十間屋村新開トナリシトキ鎮守ノ八幡を乞テ氏神トス。ソノ後、社ヲイカリ山ニウツシト伝。また水野記には権現一社とし、王子権現ト俗ニ曰フ也、寛治元年造営、社領九拾九貫天正十三年没収」
寛延(1748)から宝暦年間(1751-1763)にかけて備後地方は天災に襲われ飢饉となった。福山藩主阿部正右は救済措置をまったく講じず、それどころか三百五十貫もの銀を納めさす非道令を出した結果、ついに二万人を越える農民達は天王川原(新市町戸手)に集結し蜂起した。府中から新市宮内、中須、戸手の庄屋宅を襲いさらに、神辺川南、川北へ侵入し、この碇山で一泊したという。備後天明の一揆だ。
水野記や福山志料に八王子権現とか王子権現とも称されていたようであるから、本来はスサノオ系の神社なのかも知れない。
本殿は一間社入母屋造で瓦葺きである。頭貫の木鼻には象鼻が、また、手挟みや脇障子にも豪華な彫刻が施されている。
鬼瓦が面白い。
境内に小さな祠があった。
観世音菩薩は修復中だ。
鎮座する岡は、元々、「猫児山(ねこやま)」と呼んだ。猫・錨、漢字の旁が同じであることから、という同音であることから「碇山」と呼ばれた。神社の鎮座地であることから「王子山」とも呼ばれた。
神辺の小さな丘にも歴史と文化が存在する。



























