斎藤学『アダルト・チルドレンと家族』
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p.152-153
この生きにくさの感覚は微妙なもので、よく聞いてみると、「自分らしく生きられない」「他人と対等で親しい関係に入れない」といった悩みが共通しています。アダルト・チルドレンは子ども時代に遭遇した家族内トラウマによって、心の発達がその時点で停止した人ということができ、それが彼らの対人関係を難しいものにしているのです。
ここでいう「心」とは、情緒的な感覚やその表現であるとともに、自分と外界(世界)との関係のとらえかた(世界観)や自分というものの認識のしかた、その自分が生きるということに関する意味づけなどをふくむものです。
心の機能のうち、世界観、自己認識、生の意味づけなどは、一括して「スピリチュアリティ(霊性)」と呼ばれ、私自身は「魂」といっています。アダルト・チルドレンの心の成長は、その情緒的部分と魂の部分とで発達が遅れているのです。
(中略)
アダルト・チルドレンの癒しと成長というとき、その対象となるのは彼らの心のなかの、こうした部分なのです。
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p.158
この男性の変化は「魂の成長」と呼んでよいものであるように思います。つまりアダルト・チルドレンの成長は、
①AC自覚の獲得とそれに引き続く安全な場の確保
②嘆きの仕事
③人間関係の再構築
という三段階を経ているわけです。
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p.165
アダルト・チルドレンの呼称は、診断の道具ではなく、まして人を誹謗するためのラベル貼りの手段ではありません。
それは過去をとらえ直し、現在を理解し、将来を再構築するための手掛かりを与えるものです。
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p.166
アダルト・チルドレンが自らを語るときに、そのストーリーに関心を示し、聞き取ることに集中している治療者はアダルト・チルドレンに安全感を与えます。アダルト・チルドレンが「先生は私の話だけではなく、私自身に関心をもってくれる」と考えるのは、こうしたときです。
彼らは治療者の瞳のなかに照らし返される肯定的自己に反応して、安全感を得、そうした自己を自らの人格に統合するのです。そうした治療者から発せられる情報だけが、アダルト・チルドレンを教育します。
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p.192
トラウマは必ず喪失をともないます。この喪失体験の連続が、サバイバーの訴える痛切な寂しさの原因です。しかし、「喪失を嘆くこと」は困難な作業であり、加害者への復讐の思いに駆られたり、加害者とみなす人への賠償金取り立てを試みたり、逆に何もかも許すことによって心の負担から逃れようとしたり、といった横道にそれやすい仕事でもあります。
しかし、これらの横道は結局のところ「ファンタジー(幻想)」です。それは「エンパワメント」というアダルト・チルドレンの成長の原則とは逆の方向への努力です。
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アダルト・チルドレンの概念を日本に広められた斎藤学先生の本から。
精神科医としての経験から、さまざまの事例を挙げられているのですが、
アダルト・チルドレンの物事に対する反応のしかたをまとめて読むと、
やっぱりわたし自身も夫も、程度の差こそあれアダルト・チルドレンなんだと感じました。
そして、
子どもたちの心を耕し、見守り、優しく育てようと、改めて決意しました。
本の最後の方に、自分自身と対話したかったんだと気がつかれた方のエピソードがあったのですが、
わたしの獲得した感覚(自分で「心の中の優しいお母さん」になった、という感覚)に似てるかも、と思いました。
すっかり斎藤先生のファンになりましたので、
また別の本も読んで記録します!