人の心に火をともすのメルマガより



美智子妃が、興味を持たれた本の話

の一つに、

新見南吉の「でんでんむしのかなしみ」という話が印象深かったので、過去にブログに載せさせていただいたものを再び掲載します。



一匹のでんでん虫が、ある日、自分の背中の殻に、悲しみが詰まっていることに気づく。


自分はとても生きていられぬ、と友人のでんでん虫に訴える。


友人は、あなたばかりじゃない、私の背中の殻にも満ちている、と言う。


別の友だちに聞いても同じ、別の友に尋ねても答えは変わらぬ。



そこで初めて気がつくのである。



悲しみは誰もが持っているのだ、自分だけはない、私はこの悲しみをこらえていかねばならない。


でんでん虫は、嘆くのをやめた。



皇后は、語る。

読書は自分に悲しみや喜びについて、思いめぐらす機会を与えてくれた。

「本の中には、さまざまな悲しみが描かれており、私が、自分以外の人がどれほどに深くものを感じ、どれだけ多く傷ついているかを気づかされたのは、本を読むことによってでした」


「本の中で人生の悲しみを知ることは、自分の人生に幾ばくかの厚みを加え、他者への思いを深めますが、

本の中で、過去現在の作家の創作の源となった喜びに触れることは読む者に生きる喜びを与え、


失意の時に生きようとする希望を取り戻させ、再び飛翔する翼をととのえさせます」



ー中略ー



『日本人の美風』新潮新書


安岡正篤師は「酔古堂剣掃」の中にこう書いている。


『愛という字は「かなし」と読む。


本当の愛は必ず悲しみを持つ。


深い哲学になるかも知れないが、母のことを悲母と言い、大慈大悲の観世音菩薩と言う。



人間はこの愛しみの心を持たないといけない』



観世音菩薩は、慈母観音とも呼ばれ、大慈大悲という、大きな慈悲を与えたもうという。


慈悲とは、いつくしみ、あわれむことであり、なさけでもある。


そこには、人の痛みや悲しみを我がこととして受け止める、大いなる愛がある。




まさに、美智子皇后こそ、大慈大悲の観世音菩薩ではないだろうか。

人の悲しみや苦しみを深く感じとれる慈悲の人でありたい。