あつみなの関係性♡ | てち

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平手友梨奈ちゃん!
全力で応援します!

今日発売の「週刊プレイボーイ」
購入しましたかぁ~???

先週号から、たかみなの連載がスタートし、
第一回は、ゆいちゃん!
そして今週号の第二回は、あっちゃん♡

たかみなが、あっちゃんについて語ってます(*゚▽゚*)

若干、買いづらい雑誌だけど.....(笑)
そんなの知るかぁ~精神で、朝一にコンビニで買ったぞぉー(笑)

購入に踏み切れない方は・・・ネットでポチッとしましょうw
http://www.7netshopping.jp/magazine/detail/-/accd/1201246936/subno/1

雑誌自体が手元にあると、誰かの目が.....っと購入出来ない方の為に、部分部分をwヽ(*´∀`)ノ


 

たかみなの「卒業」までに語らせて

前田敦子。私にとっては、切っても切れない関係でした。何をやっても嫌いになれない人。

2012年、彼女が卒業する、あの年の敦子って神がかっていたと思います。圧倒するようなオーラをまとっていたし、かつ、触るのが怖いくらいな繊細さも持っていた。

たとえるならば、“繊細な爆弾”。

いつ爆発するかわからない。そんな状態でした。

日に日に大きくなっていくAKBという名前。そのセンターとして立ち続けるプレッシャー。それにより、敦子はどんどん孤独になっていったし、時としては、それが全体に緊張感となって広がってしまうこともありました。私自身も、敦子についていろいろ考えることもありました。でも、そういう気持ちもすべて吹っ飛ぶ瞬間があるんです。

例えば、2011年の西武ドームの2日目。AKBドキュメンタリー映画でも描かれた『フライングゲット』のとき。体調が最悪のなかで、ステージを務めてAKB48の未来を指し示しました。そういう普通じゃ考えられない“スター性”を持っていました。そんな敦子だったから、AKB48のセンターに立ち続けられたんだと思います。

本人の大変さは知っていたし、つらいだろうなってわかっていました。・・・・・・でも、当時のAKB48にとって、前田敦子はどうしても必要でした。彼女がいることで、当時のAKB48は輝いていたから。

すべてにおいて、当時の“軸”でした。

・・・・・・敦子本人は、その軸であることがつらかった。

だから、卒業が決まってからの敦子は、プレッシャーから放たれて本来の敦子に戻りました。

今、私の卒業が決まり、敦子のことを考えます。

「前田敦子が、AKB48に残したものってなんだろう?」って。

それはきっと、“憧れ”。

AKB48に憧れる理由を、前田敦子が作ってくれたんだと思います。

今、残された者として、敦子から学んだことを噛みしめてみる。そうすると・・・・・思うんです。「あのときはひとりで背負ってくれてたんだね。敦子しか背負えなかったんだよね」って。

敦子がいた当時のAKB48って、本当に大変だった。でも、ものすごく輝いていたし、ものすごく面白かった。“普通じゃないアイドル”をつくってくれたのが、前田敦子だったんだなって。

間違いなく、彼女はAKB48にとって大きな大きな存在でした。


 
 


あつみなの関係性にほっこりしつつも、
改めて、当時のあっちゃんのことを思うと胸が締め付けられる思いです。

卒業後にファンになったので、リアルタイムでは知らなかったけど、
ドキュメンタリー映像を初めて見た時の衝撃さは今でも覚えてます。

やっぱ、あっちゃんって凄いよっ(´∀`)←改めて。


あっちゃんのことを語ってくれた、たかみなの連載記事を是非手に取って読んで欲しいです。

1ページにまとめられてるけど、1ページじゃ全然足りないよぉ~><

まるごと一冊、余裕で語れるぐらいあると思うけどな><