なんだかさっきへんてこなブログ一本書いたら何かが抜けたようで

急にもう一本書きたくなりましたww

人の心って本当に不思議ですね(^^)


私には3人の子供がおりますが

きっと私は世間の常識からみたら

あんまり素行のよろしくない母親かもしれません。


けれども

私は私自身をそんな風に思っていなくて

子供を思う、

というより

DNAレベル的に(本能的ともいうかな?)

子供を守ろうとするエネルギーは正直

そこいらのお母さんの比じゃないよっ、てくらい強いと自負があります。


けれどもこれも実は正解じゃなくって


母親の魂というのは本来

子供という種を守るという本能はすさまじくて

本当はみんなすごいんですよ。


だけどどういうわけか今の世のお母さんは

その本能の部分がかなりぼやけている方が多い感じがしています。


これもひとえにお母さん自身の


誰かの期待に答えなきゃいけない

皆によい母と思ってもらえるようにしなきゃいけない



という


こうでなきゃいけない

あるべき



が全面に出過ぎているからなんですね。


私は最近この


母はこうあるべき

普通母親はこうでしょ



にすごくすごく違和感を感じます。

正直気持ち悪くておえ~~~~~っとなります。


そんなん頑張って

いったい誰の期待に応えようとしてんねん?


そしてそういう母親に限って子供に


あんなにしてあげたのにこの子は・・・


と自分の価値観を押し付けたり・・・・


お母さん大丈夫か?と思ってしまいます。



さて話はちょっと変わりますが

昨日は今年高校生になった長男の初めてのアルバイトの日でした。


息子の初のアルバイトは

近くの神社でのお祭りのお手伝いなのでした。


初めてのアルバイトが神社でってのもすごくいい!と思いましたし

頑張ってきてね~~~と送り出したのですが

息子が何やっているのか気になってしょうがない・・・・


そこで私はお昼頃になって

こっそり神社にのぞきに行きました。


私は実は神社巡りが結構好きでして

この近所の神明社にも

特別用事がなくてもしょちゅう詣でます。


そして私は基本礼儀正しいのが好きな人間なので

神社に詣でるときは必ず

鳥居の前で一礼(鳥居は神社の玄関だよね)

心の中で


『今日もお邪魔します。入ることを許してくださりありがとうございます。』


そうやって中に入ります。


そして参道を歩いていく時も

真ん中は神様の道だからと聞いたので

参道の真ん中を歩かずに

必ず右か左によってあるくのです。


これを書くことで何が言いたいか?というと

私はいつも神社に来た時は細心の注意を払っているということ。


それはまるで

生きてる人間と同じくらい気を使って詣でるのです。

(私はこれを好きでやっています)


ところが、

長男をこっそり見に来た自分の行動に

我ながら驚きはっとなりました。


いつものバカ丁寧なまでの詣で方はどこえやら・・・

ガツガツと社務所付近までいって

コソコソと中をのぞいている私がいるではありませんかっ!!


私はその時いつもの礼儀を重んじるマッキーではなく

ただの野生の本能むきだしの母親になっていました。


私はそんな自分自身にビックリするとともに

私って、母親って、思考や概念なんかとっくに飛び越えた

ただの野生の本能に突き動かされているだけの存在なんだということに気付かされました。


息子心配なばかりに

普段の思考で行動していた自分をすっとばした行動をする私。


その姿はただ、自分のDNAを残した種が気になって仕方がない

自分の大事な種を守りたい野生の生き物みたいだ


そんなことにはたと気がついたのです。


なんだか

人間の母親だって、ただの動物の母親とぜんぜん変わりないね




そんな私は

もし子供に何かあったなら

その何かした相手をこ ろすことだって出来るだろう。


きっとなんの迷いもなく殺(や)るだろう。


そんな野生の勘に近い状態で生きてる私だから

思考で母親像を作ろうとしている人をみたら

違和感を感じるのも当たり前だよな。


母親などという存在は本当は

こうあるべきなどという理想とはほど遠い

野生と同じ種を守るというDNAに突き動かされている存在なんだろうと感じています。



マッキー