数値化の鬼②
パート②
パート②になります。
数を打つところから始まる―「行動量」の話
※パート①はコチラ
※安藤広大氏の著作はコチラ
数を打つところから始めるー「行動量」の話し
本書のゴールは、あなたが「仕事ができる人」になることです。
ここでいう「仕事ができる人」というのは、「評価者からの評価を得られる人」です。
ビジネスの世界では、結果を出している人が勝つのです。
「P(プラン):計画」数値化された目標
→例「400ページ本を読み切る」など
「D(ドゥ):行動」計画を基にした具体的なプロセスや行動
→例「1日20ページずつを読む」など
「C(チェック):評価」上司与える評価、あるいは自らによる振り返り
→例「1日の終わりに、読んだページ数を確認する」など
「A(アクション):改善」評価を基した反省と次の改善
→例「明日はどうやっ20ページ読むかを決める」など
識学流PDCAの考え方とは
「P」に時間をかけない
計画は、実際に行動が伴って初めて意味を持ちます。
人は「量」より「質」を求める生き物です。
優秀であればあるほど、計画に時間をかけすぎて行動量が落ちてしまいます。
そこから脱するためには、まず「行動量」にフォーカスすることです。
たとえば、あなたの好きな「歌」を思い出してください。
その歌の歌詞の意味をわざわざ調べたり考えたりしてから歌を覚えたでしょうか。
たぶん、違うでしょう。
先にメロディと一緒に歌詞を覚えてしまって、後から「どういう意味なんだろう?」 と考えるという順番だと思います。
仕事においても、これと似たところがあります。
疑問に思うことを1つ1つ確かめている人より、与えられたことを素直にやる人のほうが仕事は上達します。
まずは、体に覚えさせてしまう。そして、成長したあとに、それを疑ってみる。
その順番が、「PDCA」でも求められます。
素直にやってみて、やりながらうまく、よい理由を考える。 そういう姿勢を身につけましょう。
リフレクション
数を打つことから始める 「行動量」の話
私が入社した当時はOJTという名の下、
「とにかく、お客さんのところへいってこい!お客さんが教えてくれる!」などとまあ、乱暴な指導方法がまかり通っていました。
OJTと言えば聞こえはいいですが、要は放任主義で残る人間だけでいいといった指導?まさにスパルタ方式です。
そんな、時代でも利点はあったと思います。放任であった分、期待はされていないし、時間的余裕はあるし、どうしたらいいのかあれこれ考えることができました。もちもんうまくいかないので、何度も何度もトライ&エラーの連続です。
しかし、続々と仲間たちは離脱していきました。はじめのうちこそ、感傷に浸っていましたが、徐々に離脱が当たり前になり、
「ああ、そうなんだぁ。」で終わるようになりました。
入社3年で1/3がいなくなり、30才前に2/3がいなくなりました。
今のように生産年齢人口が不足している社会では致命的ですよね。
その当時の上席に言われた言葉で印象的な言葉があります。
「バカになれ!」
あれこれ考えるな、とにかく言われた通りやれ、、、という意味だと思います。
若かった私は反発しました。
(考えるからこそ、人間だろうだが、このクソが!)
と悪態をついておりました。(笑)
しかし、年齢を重ね、その当時の上席の年齢になったとき、その当時の上席の言葉の意味がわかるような気がします。
「わかる」と「できる」は違うのだと。
社会では、「できる」が先で、「わかる」はあとでいいのです。
そのほうが、より「わかる」のです。
まさに「歌」と一緒ですね。