無事、激安パリ10日間旅行を終えて帰ってまいりました。
旅行中は、ブログを訪問してくださり、又温かいコメントを残してくださって、本当にありがとうございました。m(__)m
激安ツアーのボロホテルにも関わらず、Wifi が24時間使用できて、いついも皆様と交流できたことが、今回の旅行の何にも勝る良いところでした。^^
クジラは、パリの街角を皆様と共に歩いているような気持でした。♪
これまでに無い、楽しい旅行になりました。^^
アメブロ会衆の皆様、本当にありがとうございました。m(__)m
アメブロ会衆は良いところですね。♪
敢えて言わせていただきます。
アメブロ会衆 !
ネオ(ここをクリックすると、ネオさんのブログが開けます)さんを糾弾する某ブログのせいで、アメブロ会衆という呼び方が、悪い印象を与えるようになってしまいました。 ザンネン!(_ _。)
そもそも、会衆という言葉は、JW独自の宗教用語ではありません。
広辞苑によると
会衆とは、 会に寄り集まった人々。
という意味です。
会とは、人々の寄り集まり、つどい。組織。 グループ。 であいのとき。めぐり合わせ。
ですって♪
ジーニアス英和辞典は
congregation 会衆:(主に米 特にユダヤ教で) 信仰目的に集まる人々
と解説しています。
ですからクジラは、日本語では、何だかの共通点、目的などを持った人々の寄り集まりを、広く会衆と表現できると、考えます。
何かの形でJWとかかわった人々が、その思うところをブログで自由に表現しているところ、それがアメブロ会衆です。
しかし、そこに共通の信仰の対象となるものはありません。
あるのは、共通のテーマだけです。
確かに、会衆と言う呼び方は、忌まわしきJWの組織を思い出させるかもしれません。
しかし!
忌まわしいのは、WTの教理であり、JWの非人道的な教理の履行です。
JWの会衆に集う、大勢の心優しき人々は、ただ、神への信仰のために集っています。
同様に、アメブロに集う人々も、JWをテーマの一つとして、ブログという個人の考えを公表できる場所としてアメブロに集まっている会衆(人々の塊)です。
会衆に参加、不参加の選択肢はありません。
会衆の成員であるための資格も存在しません。
ただ、テーマが同じ。
それだけですから。^^
違うテーマでブログを始めたら、どうなるでしょう?
違うグループが発生すか、グループの輪が重なり合って広がるか・・・。
少なくとも、テーマを変えたブロガーを、仲間外れにすること、つまり排斥するようなことはありません。
WTは、会衆の上に指導者である長老を立て、組織していますが、会衆という言葉その物には、そこまでの意味は無いと考えます。
会衆がそのように発展する要素はあるかもしれませんが、アメブロ会衆においては、どこにも組織的なリーダーは存在しません。
誰もが、自分の意見、感想、解説を、言論の自由のもとに発表しています。^^
そして、そのブログを読む人々の間に、意見の交流があり、人間関係が生まれています。
クジラは今回の旅行で、この交流のありがたさが良くわかりました。
人は、社会的な動物です。
人との交流無くして、有意義な人生は望めません。
排斥、断絶、自然消滅、形はいろいろでも、JW組織から離れた人々は、少なからず奪われた人間関係への、喪失感を持つのではないでしょうか。
悪しきカルト信仰の組織には所属していたくなくても、組織を離れることにより、培ってきた大切な人間関係を失いたくない。
そういう思いの現役JWは沢山いらっしゃると思います。
クジラも振り帰ってみると、人間関係を失ったダメージを、思いのほか受けていたようです。
自覚していませんでしたが、帰国して、自分の心の軽さに気付いた時に、その傷の与えていた重さを感じました。
でも今回ブログを通して、クジラと旅を共通体験してくださった皆様のおかげで、これからのクジラの人生に、新たなページが開いたように感じました。^^
アメブロ会衆の皆様と共に歩める人生って、素晴らしい!(^-^)/
そう感じました。^^
人生と旅は似ています。
良いことも悪いことも、交じり合ってやってきます。
人生も、楽しいことばかりではありません。
人生を旅するならば、毎日新しい出会いや体験があります。
その体験を共有してくれる友が、アメブロ会衆には居ます。♪
それが何よりも嬉しい!