夫がモラハラだと認識するまでにも


私はなぜ、この人と結婚することを選んだのか考えたことがある。


別れることも考えたことがあった。


夫が私が嫌がることを繰り返すし、


会えば、必ず体を求められるからだ。


私はそんなにその行為自体が好きじゃない。


疲れていて、ゆっくりしたい時もあった。


結婚前に住んでいた家から、離れたい時期もあったし、唯一夫と会う時が、自分を素のままでいられる時だった。



嫌なことは素直に嫌と言える。



それが、私にとってはとても大事なことだったように思う。



でも、夫はまるで悪戯して相手の反応を見て楽しんでいるように繰り返すことがあった。



やめて!と強めに言えばその時はやめるが、



次に会う時には、また同じことを繰り返す。



ただ、私の中でその程度のことと言う意識があったのは確かだ。


そろそろ結婚となった時、


夫婦になるには、あらゆることを許容できなければならないと考えた。



こんな私を選んでくれたという卑屈な意識もあったと思う。


年齢的にも、最後だと思っていた。



交際中は両目を開いて


結婚したら片目をつぶる


聞いたことがあったが


それがどういうことなのか分かっていなかった。


私は元々結婚願望は無かったし、


子供も産むつもりもなかった。


だけど、夫からその内結婚しようと言われた時に、私は困った。


自分は結婚には向かないと思っていたし、結婚したなら次は子供を産むことが普通の流れだと思った。



両親の修羅場を直に経験した私には、結婚に対する夢も憧れもなかった。



ただ、あるのは苦難だけだと思った。



いい想像ができなかった。



でも、夫が言った言葉に可能性が見えた気がした。



そういう家庭で育って苦い経験した人の方が、いい家庭を作ろうとすることができる。


私は、そうだろうか?と思ったが


私にもそんな家庭が作れるだろうかとにわかに希望を持ってしまった。



今まで、そんな考えをしたことはなかった。



でも、後になって思った。


希望や夢は叶わない。


自分にその力はなかった。


子供が産まれて、夫が豹変したあと


しばらく経ってから思った。


私は馬鹿だなー。やっぱ人を見る目ないんだ。


人を見る目も能力のうちだからだ。



自分を責めたが


私には、何よりも愛しくてどうしようもない子供がいる。


私は馬鹿だとは思うけど


この子に恥じない母になりたい


そう思った。



家庭。


その中で女性は色んな役割を持つ。


昨今は、社会の中でも重要な働き手であり、労働力として、歯車の一員になってきている。


社会の中で、家庭の中で


前向きに、努めながら


母であり、人として、胸を張って生きていけるようになることが


私の目標になった。


夫婦なんて、所詮他人。


でも、一緒に暮らす以上は、色々ある。


自分らしさを見つけるために、


私は、社会でも家庭でも


戦っていく。


そう強く感じたのだ。




でも、


それは長く続けられるものじゃなかった。


溜まりに溜まっていたものが


一度に溢れてきた。


子供が不登校になって、


約1年後、私の頭も体もおかしくなっていった。


目標を追ってばかりでは


うまくいかないことがわかった。


それが、私が診療内科に初めて行くことになったきっかけになった。