タイトル変えました!



義母が私に言った言葉で


違和感を覚えた言葉がある。



「私は完璧に家のことはやってきた」



義母にしてみればそうなんだろうと思う。


でも、世の中完璧にこなせることなんかほとんどないと


私は思っている。


なぜなら、人は一人で生きていけないからだ。


誰かに助けてもらいながら生きている。


特に、ワーキングママはそうだろう。


義母も自分で全てやってこなかったことは私に話していた。


仕事中の子供の相手はお客さん。


忙しい日の土日祝日のご飯を子供に食べさせてくれたのは、お隣のおばさん。


ひょっとしたら、何かお返ししたり、お互いに助け合っていたのかもしれないが、


例えば


お返しやって、お互い助け合って、ウィンウィンとしても


義母が家のことを完璧にやってきたことに果たしてなるのだろうか。



家事と育児は別ものと考えたとしても


乳児の夫に往復ビンタして、泣き疲れさせ、寝かせていた義母。


堂々と、自慢話のように、

私はそれだけ必死でやってきた!

と言っていたけれど


それって、完璧にやってきたと豪語する人がすることなのだろうか。


私と違って、

義母は自分に自信を持っている人だ。


必死にやってきた=私は完璧にやってきた


と言うふうにとれてしまう。



義母に関しては、ほかに思うところもある。


こんなに必死に今まで頑張ってきたんだから、

今も頑張っているんだから、


周りの人間は、私を大切にして当たり前。

気を使って当たり前。


うがちすぎかもしれないが


前に義母が私に言っていた言葉でそう感じた。



今まで、必死にやってきたのに、

何でこんな目に合わなあかんの。

私、くやしいわ。ほんまに悔しい。


これは、夫が義母にいつもキツくあたっていたので、義母が私に言ったことだ。


あと、これもある。


義姉が帰ってきている時、


義母が伏せっていた。


昼食時、義姉が義父の分と自分の分と息子の分の昼食を作り3人で食べた。


義母は、後でそれに気づき、

さめざめと泣いていた。


何で、誰も大丈夫かとか私のこと気にかけてくれへんの。


何で、お昼の時にお昼食べるかって声かけてくれへんの。


今までこんなに頑張ってきたのに、こんなひどい仕打ちないわ。



様子をたまたま見にきていた私に涙を流しながら言ったのだ。



こんなに頑張ってきたのに。
みんな、ひどい。




私見だが


これは、義母の単なる甘えだとわたしは思う。


今まで頑張ってきたんやから

みんな私を助けてよ。もっと大事にしてよ。

何でこんな目に合わんとあかんのよ。私悔しい。



こんなに頑張ってきた


それを自分で言ってしまうところが義母だ。


自画自賛。


完璧にやってきた。
頑張ってきた。


これは、自己評価に他ならない。


周りが自分を粗末に扱っていると感じると

義母の悔しさが発動する。



何か違う気がするのはわたしだけか?


私が義母を嫌いだからか?


私が義母を尊重もし、

好きになることが出来ないのは、


義母の人となりが好きになれないからだ。


いつも、どこの誰より、

自分が一番大変だと思っている。


配慮がなくて、自分の都合を押し付ける。

こんなに頑張ってきた自分を助けて当たり前と思っている。


失礼なことも普通に言える感覚。


自分を守るための嘘を軽い気持ちでつける。


まだまだあるが、


とにかく、私は義母が大嫌いだ。



完璧にやってきたと

自画自賛している傲慢なところも嫌だし、


嫌いだ。