夫はコロコロと言うことが変わる人だった。
主に子供に関して、今いったことと、ほんの数秒前に言ったことが全く違うことが度々あった。
子供の機嫌や気分に合わせて、指示が変わっていく。
いつも余裕がなく、自分は口だけで、指示を出す人だった。
特に子供が乳児の頃は酷かった。
言葉でうまく伝えられない乳児の子供は、良くそりくりかえって表情・体全体を使い、機嫌を伝えた。
その度に、あれか?これか?こっちか?そっちか?
大きな声で、子供に問う夫。
結局、最後は物与えて終息をはかる。
子供に振り回されて、子供がごねないよう、必死になって、機嫌を取っているように見えた。
その度に、私へ指示を飛ばす。
あれしたれ。
違う!これや!
違うって!あれやって。なんでわからんねん!
イライラして、私を振り回す。
私は操り人形のようだった。
私の気持ちや考えは、夫にはどうでも良かったように思えた。
ただ、子供の機嫌を損ねないよう
機嫌が悪かったら機嫌が治るように働かせる、
下働きのような存在。
家事もやり、働いて収入を入れ、夜の相手をさせ、子供の身の回りの面倒を見させる。
主体は基本自分。
指示を出してやらせるのは自分。
私がどうやろうが、尊重できない。
自分が思ったように動かないとイライラする相手。
私の主体性は、夫の気分や余裕次第で決まるようなもんだった。
やる気がなければ、
お前やれや!
やる気があれば、
俺の言う通りにしろ!
文句があるなら、ちゃんとやること出来てからにしろ。
夫の匙加減や気分で決まる。
私の存在は、良いように使いまわせて、都合良く動いてくれる人間でしかない。
そうとしか思えない時間が長く長く続いた。