第2章:ご子息の墓参り
私は、昨年2019年本格的闘いの開始しにより、この闘いの根幹ともいえる遺族に初めてお会いする事ができた。
特に「524人の命乞い」著書遺族:小田周二さんには、祈りが叶って、繫がる事ができた。
2019年年末は、来る翌年2020年をどう前進させるかに思いを巡らせていた。
その間、昨年8月12日、日航ジャンボ墜落から34年目の慰霊式典の帰路、小田さんの言われた「あなたの熱意に負けた」が胸中にコダマした!
そして、第1優先事項として決めたのが、まずは、小田氏のご子息の前で、お題目と線香を上げさせて頂く事だった。
それは、慰霊式の進行中、頭をよぎった時のリピートであり、
小田氏が、もしご高齢のため、もしくは、別な理由で命を奪われてしまったら、との危機感であった。
小田氏がお元気なうちに、しておかななければならない最優先事項がこれだと思い、
さっそくアポを取り始めた。
最初の考えは、自宅(場所も分かっていた)にお邪魔し、おそらく有るであろう仏壇を拝す考えだった。
ところが、小田さんから出た言葉には驚いた。
なんと、元旦早々、1月3日の墓参りに来ればよい、との事だったのである。
私は、まさか、そんな重要な場所にご一緒させて頂くなんて!と思いましたが、お言葉に甘えて墓参りさせて頂くことにしたのである。
都内の立派な墓地、ここに十代で逝ったご子息2人の為だけに建てたお墓があった!
「すぐ横に学校があり生徒の声が聞こえ、子供たちが寂しくならないように、
ここを選んだ」と説明した。
小田さんいわく「同級生たちもよくここへ参拝に来てくれ、小銭を置いてくれる」という。
私は、この時十代だった自分の子を思い出し、とても冷静ではいられなくなったが、時間もないいだろから(特に群馬から来た私は)、気を取り直して、参拝を10分位させて頂いた。
そして、最重要である事として、必ずやあなた方をふくめた犠牲者520人へ”真実の花束”を届ける、その為に今年も一歩前進させます!と、墓前で誓った!
このあとは、近くの藍屋で食事し、3時間超に及んでのコミュニケーションとなった!
小田さんと別れるともう夜で、これから群馬へ帰るのかと思ったが、
それよりむしろ、心配したのは、高齢の小田さんの運転であった。まあ、私よりは早く着くだろうとも思い、小さな車を走らせた。
次章へつづく
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