パーン!パーン!
数発の銃声が山沿いに響き渡り、立ち上がった大きな黒い影は天を仰ぐように
後方に倒れていきました・・・。50年前の真狩村で熊を射止めた最後の話です。

数発の銃声が山沿いに響き渡り、立ち上がった大きな黒い影は天を仰ぐように
後方に倒れていきました・・・。50年前の真狩村で熊を射止めた最後の話です。

昭和34年10月、村の東部に位置する軍人山近くの畑で親子熊の目撃情報が
寄せられ、村猟友会のメンバーが5日間に亘り山狩りを行いました。
山を囲むように裾野から徐々に熊を追いやり、山頂で撃ち手が待機していると
いう山狩りで、24歳の最年少の青年が48歳のベテランとペアで追い手
として班を組んで参加していました。

寄せられ、村猟友会のメンバーが5日間に亘り山狩りを行いました。
山を囲むように裾野から徐々に熊を追いやり、山頂で撃ち手が待機していると
いう山狩りで、24歳の最年少の青年が48歳のベテランとペアで追い手
として班を組んで参加していました。

10月12日、日没がせまる午後4時頃、青年達の班もあきらめ下山し始め、
畑に出たと同時に前方50mに大きな影と小さな影を発見、早足でがこちらに向かっ
てきています。
ベテランの手には銃身の長い村田銃、青年の手には中折れ銃が握られていましたが、
どちらも単発式で連射が出来ない旧式のものです。
青年は「撃つか、逃げるか」と脳裏を過ぎった瞬間、傍らの長い銃身から火が出ました。
青年も無我夢中で引き金を引いた。2挺の初弾に手ごたえがありましたが、熊は歩み
を止めず向かってきます。弾を込めながら懸命に撃ち続けました。
手負いの熊が目の前で立ち上がった時、村田銃が分厚い胸板を突き破り、そのまま仰向けに
倒れていきました。その距離は数メートルと離れていなかったといいます。
畑に出たと同時に前方50mに大きな影と小さな影を発見、早足でがこちらに向かっ
てきています。
ベテランの手には銃身の長い村田銃、青年の手には中折れ銃が握られていましたが、
どちらも単発式で連射が出来ない旧式のものです。
青年は「撃つか、逃げるか」と脳裏を過ぎった瞬間、傍らの長い銃身から火が出ました。
青年も無我夢中で引き金を引いた。2挺の初弾に手ごたえがありましたが、熊は歩み
を止めず向かってきます。弾を込めながら懸命に撃ち続けました。
手負いの熊が目の前で立ち上がった時、村田銃が分厚い胸板を突き破り、そのまま仰向けに
倒れていきました。その距離は数メートルと離れていなかったといいます。

子熊はいつの間にか青年達の後方に回っていたが、流れ弾が下顎を砕いていました。
青年は子熊を追い、静かに引き金を引きました。
親熊は6歳ぐらいで体重230kg、子熊は2歳で75kgと記録されています。
青年は子熊を追い、静かに引き金を引きました。
親熊は6歳ぐらいで体重230kg、子熊は2歳で75kgと記録されています。

後の処理は猟友会のメンバーに任せ、長身の銃を背中に神山安雄氏と気田稔青年は
ひっそりと下山しました。その晩、消防番屋で村長をはじめ、村の主だった顔ぶれと
猟友会とで2人の武勇を讃える宴を開いた。しかし、気田青年は早々に宴を抜け出し
帰路につきました。
家には無骨は叔父が待ており、「結婚もしてないヤツが危ないことをするな!」と
武勇伝も聞かず一喝されたということです。
2人が使用した弾は24番(24ゲージ)という直径14.7ミリ、小動物猟用の
入門者向けの経口であり、それぞれが撃った初弾がわき腹に命中して、肺に刺さった
ことが熊の動きを鈍くし、全6発でしとめられたのは運も幸いしたのかもしれません。
ひっそりと下山しました。その晩、消防番屋で村長をはじめ、村の主だった顔ぶれと
猟友会とで2人の武勇を讃える宴を開いた。しかし、気田青年は早々に宴を抜け出し
帰路につきました。
家には無骨は叔父が待ており、「結婚もしてないヤツが危ないことをするな!」と
武勇伝も聞かず一喝されたということです。
2人が使用した弾は24番(24ゲージ)という直径14.7ミリ、小動物猟用の
入門者向けの経口であり、それぞれが撃った初弾がわき腹に命中して、肺に刺さった
ことが熊の動きを鈍くし、全6発でしとめられたのは運も幸いしたのかもしれません。
青年はこの事件を最後として銃を置き、ベテランハンターも数年後、病気のため
銃を置きました。
銃を置きました。
当時を知るハンターの多くは既にいないが、今回お話を聞いた老マタギたちは
今でも目を輝かせ語ってくれました。
貴重な村の歴史です。本当にありがとうございました。

今でも目を輝かせ語ってくれました。
貴重な村の歴史です。本当にありがとうございました。
