夜のツアーに備えて腹ごしらえ。

ツレがお店を選んだら、やっぱりパブだった爆  笑

タワーブリッジから徒歩10分ほど歩いたところ。

 

Sir Sydney Smith

前晩に続いて私はピザ。

彼はハンバーガー。

 

 

ジントニックは、ここでもやっぱりワイングラスなんだなぁ。

 

さて、夜の2時間ウォーキングツアー。

 

 

切り裂きジャック Jack the Ripper

1888年にロンドンのホワイトチャペルとその周辺で5人の女性を殺害した伝説的な連続猟奇殺人鬼。

被害者たちは喉を切られた後に、腹部も切られていたことが特徴だった。

ガイドの説明では、性器からみぞおちまでざっくり切られていた被害者もドクロ

子宮がなくなっていたり、内臓が取り出されていたり。。。ドクロ

 

犯人が分からなかったってところで多くの人が関心をもち、いろんな推理が生まれて、本、映画にもったよう。

現代になってDNA解析ができるようになって、さらに犯人特定に関して議論が進んだものの、決定的な特定には至っていない。

 

この事件、捜査がスムーズにいかなかった理由のひとつに、シティ・オブ・ロンドン(特別区)とそのまわりのロンドンとで、警察の担当が異なったことがあるらしい。

殺人事件の情報がすぐには伝わらなかったし、積極的な協力体制もなかったと。

 

ツアーはこの壁から始まった。

直接、殺人事件には関係ないけど、歴史的建造物として一見の価値あり。

ロンドンがこんな壁に囲まれてたっていうのも初めて知った。

 

ロンドンの壁(London Wall)

1500年もの間、ロンドンは城壁都市だった。

200年頃ローマ人によってつくられたその城壁の一部が、まだ残っている。

 

約6kmの城壁で囲まれていた当時の様子。

4か所にゲートがあり、決まったゲートから出入りしていたという。

 

1572 年、壁に囲まれたロンドン市の様子。

右の方にある部分が、上の写真の残された壁の場所。

 

17世紀後半から19世紀、ロンドンは壁を超えて大きく発展。

1840年代以降、大部分が鉄道工事、土地の再開発、道路建設などによって破壊された。

(写真および情報元)

 

だから、1888年の事件当時には、すでに壁はなく、シティ・オブ・ロンドンと(一般?)ロンドンを行き来できる状態であった。

殺人事件5件のうち2件は、同じ時間帯に、シティ・オブ・ロンドン内と外で起きたのだ。

 

ちなみに、このポールは、その境界線を示すもの。

面倒くさい事件が起きたら、ちょいと押して向こう側にしちゃえばイイ、なんて冗談も爆  笑

 

ここは、実際の殺害現場。

切り裂きジャックツアーは人気で、複数のツアーグループが代わる代わるスポットで話をしていた。

スペイン語グループもいたなぁ。

 

ここで殺された。

こんなに惨たらしい状態だった。

あそこで、証拠品と思われるナントカが発見された。

ってね。

 

 

犯人推理が皆の関心の集まるところなんだけど、、、

個人的にはホワイトチャペルの当時の様子に、一番衝撃を受けた。

 

ヴィクトリア朝、ヴィクトリア女王時代。

産業革命による経済の発展が熟した、イギリス帝国の絶頂期。

産業や商業の利益を求めて、田舎地方からロンドンへと人口が流入。

さらには、アイルランド人やユダヤ人の移民。

ホワイトチャペル周辺には多くの貧困者が定住するようになった。

貧困、ホームレス、搾取的な労働環境、売春および高い幼児死亡率。。。

 

冬の寒さから逃れるために、彼らは2ペンスを支払って宿に泊まった。

ベッドなどはない。

部屋になるべく多くの宿泊者が押し込まれ、ロープにもたれて寝るのだ。

そして、朝早くにそのロープは切られて、外に追い出される。

(以下写真は役者が演じたもの)

 

衝撃的な話だった。

凍死と背中合わせの凄まじいサバイバル。

はあ。。。

考えると重くなっちゃうわ。

 

 

ツアーが終わって解散。

空には三日月が輝いていた。

 

3日間のロンドン観光はこれで終了。

翌朝、空港へと向かう。

すごい霧びっくり

 

 

ずっとお天気がよくて青空だったけど、これこそが霧のロンドンなんだね。

最後に見られて良かった爆  笑

 

 

旅の終わりに、驚き話がひとつ。

ロサンゼルス空港で食べたこのデリ・ボウル。

4種類のデリで30ドルびっくりびっくりびっくり

物価高に慣れてるつもりだったけど、これには引いたわガーン