コベントリーは、戦争で大きな被害を受けた町としても知られるようだ。
広島の原爆ドームのように、当時のまま、あえて修復をしていない建物がある。
コベントリー大聖堂
14世紀に建てられた、ゴシック建築の聖ミカエル大聖堂。
しかし、1940年11月14日のドイツによる大爆撃にやられ、枠組みと塔だけが残った。
中へ足を踏み入れると天井もなくがらんとしている。
元はこんな感じだったらしい。
そのままに残された割れたステンドグラスが生々しい。
爆撃の翌朝、地面には、梁が十字架のように重なって落ちていたという。
それが、隣に作られた礼拝堂に展示されている。
この新しく作られた礼拝堂がまた素晴らしかった。
一歩入ったときの「おお~っ」感は写真では全く伝わらないんだけど。
パイプオルガンの音が響き渡っていた。
その後に訪れたのは、交通博物館。
実は、コベントリーって、ジャガーが生まれたところだった![]()
19世紀から自転車が登場。
開発に開発を重ね、一般人でも安全に楽しめるようになった。
19世紀後半には、ローバーがコベントリーで自転車製造を開始。
多くの自転車製造業者が後に続いた。
20世紀初頭には、これら自転車製造業者は自動車の製造を始めた。
そして、コベントリーは自動車産業の中心地となったとのこと。
自転車に乗りやすいよう、女性のファッションも変化。
戦争が始まると、軍需品生産に一気に方向転換。
第一次世界大戦に、第二次世界大戦。
だからこそ、工場の中心だったこの町はドイツ軍から狙われたのである。
1940年11月14日 午前7時20分
11時間にわたる空襲が始まり爆弾が降り注いだ。
やっとその音が止んだ時、町はくすぶった瓦礫の山と化していたという。
こんなコーナーがあった。
「味方か敵か
」
そっか、飛行機の形で味方か敵かを判断するんだ。
戦時中は日本でも、ひと目見れば日本軍か米軍か分かったんだろう。
戦後、町の復興をする際に、そのデザインに関しては議論があったらしい。
結局、モダンな方向で設計がなされた。
モダンと中世が混ざり合ったこの町を、中途半端と見るかユニークだと見るかはその人次第![]()
かわいい救急車![]()
ジャガーの消防車![]()
展示最後は、もはや車というより飛行機に近いスラストで。
Thrust 2
1983年、時速633マイル(約時速1066km)を達成
Thrust SSC
1997年、時速763マイル(マッハ1.001 / 時速1,227.985キロ)、音速を突破![]()
予想以上に充実した展示で、かなり歩いた。
車好きな人はもちろん、そうでなくても楽しめる博物館だと思う。
それにしても、戦争の歴史をしみじみ感じた日だった。
例の伯母さんは、1950年代にコベントリーに移り住んだそうだが、当時はまわりに何もなかった。
そこから建物がどんどん建っていく様子を見てきたと話す。
























