必ず迎える「死」という現実は、元気に生活している間は見向きもされません。
しかし、今生きているということは、いつか必ず死を迎えるということです。
死はタブー視され、自身や家族、友人など、近しい人の「死」を真剣に話し合うことなく、ある日突然その日を迎え、慌てふためく方も少なくありません。
しかし、生を受けた以上、いつか必ず死を迎える日がやってきます。
それは10年後、20年後、50年後と先の話かもしれませんが、今日や明日、5分後、1分後という可能性もあります。
今現在元気に過ごしていても、病に伏せっていても、たった今生を受けたばかりであっても、全員がいつか死を迎えることに違いはありません。生を受けた以上、致死率は100%なのです。
では、いつか迎えるであろう「死」に怯えて生きなければならないのでしょうか。
いつか迎えるであろう「死」は、あくまでも「いつか」という不明確な未来の話です。
むやみに怯え、警戒する必要はありません。しかし、必ず訪れる「死」を、どのような形で迎えるのか、考えることは大切です。
縁起でもない。と話を先延ばしにせず、現在の自分、家族、友人の考えを話す、聞く機会を設けることが重要となります。
人の死生観は、日々一刻と変化します。死を近く考えていない今日は「延命治療をして欲しくない」と思っていても、死が目の前に見えた明日には「1日でも1秒でも長く生きたい」と願うかもしれません。
自分の死には責任を持てるという方も、大切な家族の「生死の選択」を突きつけられた際には戸惑うかもしれません。
備えあれば憂いなしという言葉がありますが、人の生死に関わることに関してだけではなく、いくら備えても憂いがある機会はあります。しかし、備えがあるとないでは、少なからず結果に変化が見られるのではないかと思います。
自分はどのような死を迎えたいのか、そのためにどのように生きるべきなのか、真剣に考えてみませんか?