何かに導かれるように、鎌倉にある長谷寺へ水子供養に行こうと決めました。
長谷寺は、長谷駅から歩いて5分ほどの所にあります。
ちなみに私たちは車で行きましたが、近くのコインパーキングにとめました。
平日だっため、30分200円と安い駐車料金でとめられました。
長谷寺は鎌倉時代以前からある古寺だそうです。
天平8年(736)の創建と言われ、坂東33ヵ所観音霊場の四番札所であり、本尊の十一面観音は高さ9.18mあり木造では日本一と言われているそうです。
長谷寺の水子供養の方法は地蔵像を立てての供養があるそうです。
長谷寺と供養の縁を結ぶという形で、地蔵像の建立を申し込むと、次の朝には申込者の名前を読み上げての読経供養が行われるそうです。
費用は、地蔵像には1万円のものと2万円のものがあり、自分で選ぶことができるそうです。
この地蔵像を建立する際の供養料は、地蔵像の料金に含まれているそうです。
地蔵をたてるかどうかは現地に行ってから決めようと思いました。
長谷寺の拝観料は大人が300円でした。
ベビーカー置き場が入口にあり、長谷観音本堂までは長い階段が続き、ベビーカーで上がるのは困難だったため、息子には歩いてもらいました。
すると、本堂にたどりつく前にたくさんの地蔵像がありました。
数にして200、300近くあると思います。もっとあったかもしれません。
地蔵像に手をあわせました。
でもちょっと私には異様な光景に見えてしまい、私の供養は地蔵を買う方法はやめようと思いました。
そのまま階段を上っていくと、長谷観音本堂に辿り着きました。
本堂の中に入っていくと、十一面観世音菩薩様がいらっしゃいました。
本堂の中は残念ながら写真撮影が禁止でした。
この観音様は楠の一木造りで、立ち姿がとても美しかったです。
鎌倉の大仏さまは男性ですが、こちらの観音様は女性のようです。
観音様は本当に大きくて、立派で、でも私は最初、観音様と目をあわせることができませんでした。
こんな気持ちになったのは人生で初めてです。
気持ちを落ち着かせてもう一度観音様を見ると、この観音様が私をここへ導いてくださったんだなと不思議とそんな気持ちになりました。
何もしゃべらなくても、その観音様はこの一週間の辛い出来事を全部知っていらっしゃるように感じました。
「本当に辛い経験だったね。大丈夫、なんにも話さなくてもわかりますよ。赤ちゃんのことは任せなさい」
そんな言葉をかけてもらっている気分になりました。
その観音様をみていると、不思議と胸につっかえていたものがとれていく気がしました。
本堂の中に木の札が販売されていました。
その札に両親の名前を書いて箱の中にいれると、翌日お経を読んでお焚きあげをしてくださると書いてありました。1000円でした。
私たちはこの札に主人と一緒に二人で名前を書いて、水子供養にすることに決めました。
水子供養のろうそくも1本100円で販売されていたので、火をともして手をあわせてきました。
長谷寺を出ると、お土産やさんに綺麗なこんぺいとうで出来たアジサイのお菓子が売られていたので、お供え用に購入しました。
あとは納骨をどうするか今もまだ決められないでいます。
私のお墓は鹿児島にあり、すぐに行ける距離ではないので、納骨する気になれないでいます。
もしこれを読んでアドバイスをいただける方がいらっしゃったらお願いします。
長谷寺に行ってもしばらく胸に空いた大きな穴をふさぐことはできませんでした。
早く忘れなさいと言われたこともありましたが、絶対に言ってはいけない言葉だと思いました。
絶対に忘れることなんかできないからです。
そして月日が流れて、亡くした赤ちゃんのこと忘れようとするから辛いんだとわかりました。
忘れる必要なんかないんだと気づかされました。
しばらく、誰にも会いたくないし、会話もする気になれませんでした。
親戚の方が心配して、自宅に立派な花かごを送ってくださいました。
その花を見ると元気になってきて、すごく嬉しかったです。
私の場合息子がいたので、随分気がまぎれました。
息子をこれからも大事に育てていこうと思いました。
そして嬉しかったのは親友が家に遊びに来てくれたとき、赤ちゃんに手をあわせてもいいかなと言ってくれたことでした。
こういう経験をすると、周りはふれてはいけないんだと思い、あえてこういう話題から避ける方もいますが、逆に何も触れられないと淋しいものです。
あえてその話題を避けずに、聞いてくれた友人は強い人だと感じました。
もし周りに同じような経験をされた方がいたら、体調大丈夫!?って聞いてあげてください。
それが実はとても嬉しいものです。
この経験から実は私は流産の経験があるんだと、今まで話さなかったことを話してくださったママさんたちが沢山いました。
みんなあえて口にださないだけで、辛い経験を乗り越えているんだとわかりました。
赤ちゃんは選んで私の所に生まれてきた。あえて試練を与えるために、そう書いてあるサイトがありました。
この経験は本当に辛かったけれど、赤ちゃんが無事に産まれてきてくれることは奇跡なんだなと感じました。
そしてそこにある命を大切にすること。
今この世に生まれてきたのには意味がある。
主人と息子三人で、これからも前向きに生きていきたいと思います。
赤ちゃんのお蔭で、いろんなことを考えて、見えなかった人の気持ちが少しわかるようになりました。
こんな経験をさせてくれた赤ちゃんに感謝したいと思います。
もし会えるだったら、次はまた私たちの所に生まれてきてくれることを楽しみにしてみたいと思います。
長谷寺は、長谷駅から歩いて5分ほどの所にあります。
ちなみに私たちは車で行きましたが、近くのコインパーキングにとめました。
平日だっため、30分200円と安い駐車料金でとめられました。
長谷寺は鎌倉時代以前からある古寺だそうです。
天平8年(736)の創建と言われ、坂東33ヵ所観音霊場の四番札所であり、本尊の十一面観音は高さ9.18mあり木造では日本一と言われているそうです。
長谷寺の水子供養の方法は地蔵像を立てての供養があるそうです。
長谷寺と供養の縁を結ぶという形で、地蔵像の建立を申し込むと、次の朝には申込者の名前を読み上げての読経供養が行われるそうです。
費用は、地蔵像には1万円のものと2万円のものがあり、自分で選ぶことができるそうです。
この地蔵像を建立する際の供養料は、地蔵像の料金に含まれているそうです。
地蔵をたてるかどうかは現地に行ってから決めようと思いました。
長谷寺の拝観料は大人が300円でした。
ベビーカー置き場が入口にあり、長谷観音本堂までは長い階段が続き、ベビーカーで上がるのは困難だったため、息子には歩いてもらいました。
すると、本堂にたどりつく前にたくさんの地蔵像がありました。
数にして200、300近くあると思います。もっとあったかもしれません。
地蔵像に手をあわせました。
でもちょっと私には異様な光景に見えてしまい、私の供養は地蔵を買う方法はやめようと思いました。
そのまま階段を上っていくと、長谷観音本堂に辿り着きました。
本堂の中に入っていくと、十一面観世音菩薩様がいらっしゃいました。
本堂の中は残念ながら写真撮影が禁止でした。
この観音様は楠の一木造りで、立ち姿がとても美しかったです。
鎌倉の大仏さまは男性ですが、こちらの観音様は女性のようです。
観音様は本当に大きくて、立派で、でも私は最初、観音様と目をあわせることができませんでした。
こんな気持ちになったのは人生で初めてです。
気持ちを落ち着かせてもう一度観音様を見ると、この観音様が私をここへ導いてくださったんだなと不思議とそんな気持ちになりました。
何もしゃべらなくても、その観音様はこの一週間の辛い出来事を全部知っていらっしゃるように感じました。
「本当に辛い経験だったね。大丈夫、なんにも話さなくてもわかりますよ。赤ちゃんのことは任せなさい」
そんな言葉をかけてもらっている気分になりました。
その観音様をみていると、不思議と胸につっかえていたものがとれていく気がしました。
本堂の中に木の札が販売されていました。
その札に両親の名前を書いて箱の中にいれると、翌日お経を読んでお焚きあげをしてくださると書いてありました。1000円でした。
私たちはこの札に主人と一緒に二人で名前を書いて、水子供養にすることに決めました。
水子供養のろうそくも1本100円で販売されていたので、火をともして手をあわせてきました。
長谷寺を出ると、お土産やさんに綺麗なこんぺいとうで出来たアジサイのお菓子が売られていたので、お供え用に購入しました。
あとは納骨をどうするか今もまだ決められないでいます。
私のお墓は鹿児島にあり、すぐに行ける距離ではないので、納骨する気になれないでいます。
もしこれを読んでアドバイスをいただける方がいらっしゃったらお願いします。
長谷寺に行ってもしばらく胸に空いた大きな穴をふさぐことはできませんでした。
早く忘れなさいと言われたこともありましたが、絶対に言ってはいけない言葉だと思いました。
絶対に忘れることなんかできないからです。
そして月日が流れて、亡くした赤ちゃんのこと忘れようとするから辛いんだとわかりました。
忘れる必要なんかないんだと気づかされました。
しばらく、誰にも会いたくないし、会話もする気になれませんでした。
親戚の方が心配して、自宅に立派な花かごを送ってくださいました。
その花を見ると元気になってきて、すごく嬉しかったです。
私の場合息子がいたので、随分気がまぎれました。
息子をこれからも大事に育てていこうと思いました。
そして嬉しかったのは親友が家に遊びに来てくれたとき、赤ちゃんに手をあわせてもいいかなと言ってくれたことでした。
こういう経験をすると、周りはふれてはいけないんだと思い、あえてこういう話題から避ける方もいますが、逆に何も触れられないと淋しいものです。
あえてその話題を避けずに、聞いてくれた友人は強い人だと感じました。
もし周りに同じような経験をされた方がいたら、体調大丈夫!?って聞いてあげてください。
それが実はとても嬉しいものです。
この経験から実は私は流産の経験があるんだと、今まで話さなかったことを話してくださったママさんたちが沢山いました。
みんなあえて口にださないだけで、辛い経験を乗り越えているんだとわかりました。
赤ちゃんは選んで私の所に生まれてきた。あえて試練を与えるために、そう書いてあるサイトがありました。
この経験は本当に辛かったけれど、赤ちゃんが無事に産まれてきてくれることは奇跡なんだなと感じました。
そしてそこにある命を大切にすること。
今この世に生まれてきたのには意味がある。
主人と息子三人で、これからも前向きに生きていきたいと思います。
赤ちゃんのお蔭で、いろんなことを考えて、見えなかった人の気持ちが少しわかるようになりました。
こんな経験をさせてくれた赤ちゃんに感謝したいと思います。
もし会えるだったら、次はまた私たちの所に生まれてきてくれることを楽しみにしてみたいと思います。