今日4月1日は世に言うエイプリルフールの日であります。どんなウソを言っても許される素敵で愉快な日でもあります。でも日頃ウソをホントの事のように言う北朝鮮や中国、韓国はじめ多くの国の政治家は口を慎み沈黙に徹しています。こういう日こそ大ぼらを吹き我が国こそ平和を願っていると言えば、かえって信頼されるかもしれません。ま皮肉を込めて言っているのですが。

 

さてそれはともかく今日はイースターデーでもあります。4月1日のイースターは62年ぶり(1956年・昭和31年)とのことです。ちょっと固い話で恐縮ですが、聖書(新約)から復活の朝の出来事を見てみましょう。

 

使徒聖ヨハネによる福音では、朝も早く暗いうちに、マグダラのマリアがイエスが葬られた墓(岩をくり抜いた横穴)に行くと、大きな石の扉が取り除かれていて、ペトロに知らせるため走ってもどり告げます。ペトロとヨハネは墓へ走って行きます。先に着いたヨハネは入り口で待っていて、ペトロが中に入って、イエスが居ないことと、イエスの遺体をまとった亜麻布と頭を包んでいた覆いを認めます。この場面は非常に示唆に富んでいます。

 

マグダラのマリアは『ダ・ヴインチ・コード』でも有名な聖女ですが、元は娼婦です。彼女はイエスによって石殺しの刑を免れた、ある意味キリスト教の神髄をシンボリックに生きた重要な女性です。

 

イエス憎悪の塊であるファリサイ派の人たちは、姦通罪を犯しモーセの律法(法律)により石殺し刑の運命にあるマグダラのマリアを、イエスを試すというよりは陥れて逮捕する機会をうかがっていて、これを好機とばかりイエスに問いかけます。律法により死刑に処すべきですが、イエス先生はどうお考えですかと。訊いたりも訊いたりです。

 

はい死刑ですではイエス・キリストの説く人類愛に反し、イエスは即死に体になってしまいます。かといって死刑を否定すれば重大な法律違反を公言した謀反者になってしまいます。この二律背反する命題に対して、あなたならどう答えるでしょうか?

 

流石にイエスですね。イエスはこのままでは死刑となる彼女を前にして臆することなくちゃんと答えるのです。「罪なき者からまず石を投げよ」と。これには痺れますね。この世に罪の意識を持たない人は普通の人なら皆無でしょう。マグダラのマリアはイエスによって、この世での刑死からも後の世の罰からも免れます。私が好きなジャーナリストの堤曉さん(文藝春秋取締役)は、イエスはディベートの巧者と評していますが、果たしてそれだけでこれだけの言葉を言えるでしょうか?私はカミナリが落ちたような衝撃を受けました。高校生の倫理の時間です。まさに神ならではの言葉です。AI(人工知能)でもどんな大天才でも絶対に思いつかない言葉でしょう。

 

トリノの聖骸布はご存知でしょうか?トリノの聖ヨハネ大聖堂にある、イエスの全身の遺体を包んだものと言われていて、血と汗の肉体によって顔までもはっきりと写し出されています。真贋論が絶えないのですが、上述のヨハネ伝では「亜麻布と頭を包んでいた覆い」と、頭と体を別々に包んでいたことが書かれています。炭素年代測定でもイエスの時代よりずっと後の時代のものと判明していますが、イエスの受難物語(全身を肉体的拷問されている)を布全体にリアルに示しています。

 

ヨハネの聖書に関して最後になりますが、これはとても難しい問題です。冒頭のヨハネ伝の本節の文末で、ヨハネはこう書いています。

 

<<(ヨハネはキリストの遺体がないことと亜麻布と覆いがあるのを)見て、信じた。イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人(ペトロとヨハネ)はまだ理解していなかったのである。>>

 

ではヨハネは「見て、信じた」とは何を信じたというのでしようか?イエスは磔になる前から何度も「私は死んで三日目に蘇える」と宣言しています。しかし12人の弟子のだれ一人この意味が理解できませんでした。もちろん主イエスが、逮捕され、処刑されるということも、イエスが宣べる後の世である天国や地獄があること同様にチンプンカンプンだったはずです。

 

そういう伏線があっての「見て、信じた」はイエスの再生、復活を信じたと読めるのですが、続いて「死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである」と決めつけているのです。ヨハネ伝を著わした当の本人が自分の行為を、第三者的に論評しているのです。ではヨハネは何を信じたというのでしょうか?信じるという言葉には、非合理的で理屈では到底受け入れられないが、という含み、意味合いもあります。「不条理故に我は信ず」というある神学者の有名な言葉にもなっています。

 

私は知らないことを知らないままにしておくことは、精神衛生上あまり好きではありません。で意を決してカトリックの神父様(日本人)に訊いてみました。

 

ところが神父様は困った顔をされたのです。これには私も内心びっくりしてしまいました。そして厳かに「言葉がつながりませんね」と言われました。そして「あなたはよく勉強されているのですね」ともおっしゃいました。聖書解釈のプロが立ち往生されているのです。いえ聖書は同じ事項でも伝記作者によって矛盾する場面もあります。後世のしたり屋が書き加えたりしないでオリジナルをそのままにしているのが聖書の良さでもあります。

 

ヨハネが何を信じたのかを、この1年ずっと考え続けていましたが、残念ながら答を得ることはできませんでした。でもまだまだ諦めません。真実一路、もう少し探究してみたいと思います。

 

 

さてさてこんな崇高な?話から、一転即物的刹那的な話になります。でも今日はなんてたってエイプリルフールです。何言っても咎められないでしょう(笑)。

 

JRA(日本中央競馬会)WIN5をアップするのは6年ぶりの事です。6年前の6月は4戦3勝と好成績を収めたのですが、このことをブログに書いたら、あるコメントで「狂気の沙汰」といって罵倒され信じてもらえませんでした。まそれだけ的中は至難な技なのですが、純益を200万ほど上げたのです。しかし7月に入ってすぐ、第1レースで7番人気馬と9番人気馬もセレクトしたものの、なんと7番人気馬は登録漏れしていて、見直して気づいたときは締め切り後のことでした。

 

でなんと1着に7番人気馬がレコードタイムで入り、2着は9番人気馬が来て、3連単は20万円馬券になり、WIN5の配当では300万円を取り逃がしてしまったのでした。これがショックで以後まったくダメになりトライはできなくなっていました。しかし研究はずっと続けていました。

 

最近になってある法則で勝ちにいけること(黒字決算)を確信するようになりました。でもそれは最大100万円の投資が必須なため現実的な話ではありません。

 

これをさらに進化させて、今日初めて模擬試験として臨み、第1レースから第5レースまでそれぞれを7、3、6、9、3番人気馬までを張ってみました。投資額は34万円ほどです。結果は6、3、2、8、1番人気が入り、投資総票652万余票のうち47票的中の超狭き門で、配当金は971万円となりました。

 

WIN5はメインレース(主に10レース、11レース)5レースとも1着の馬番を当てることですが、仮に5レースすべて10通りの組み合わせとするならば、10の5乗で10万通りになり、1口100円で1000万円と膨大な投資金額でハイリスクな勝負レースでもあります。どの馬が1着に来るかは、各馬(5レース計平均70頭位)の成績、騎手、馬場の総合分析から、オッズ(予想配当率)で、単勝・複勝・馬連のオッズ分析など多岐にわたりますが、ロト6ロト7などよりよほど勝率は高くなります。

 

将来年金が例えば300万円として、この10倍以上の月300万円の純益を目指していますが、実施条件として、模試(シミュレーション)で3連勝、もしくは5戦4勝であることと、さらには投資額を10万円以下に抑えられることを大前提としています。実施の可能性は今のところいいとこ半々です。現在は臨床試験みたいなもので、運用には数年は要するかもしれません。計画がポシャルかもしれませんが、こればかりは神のみぞ知るというところでしょうか(笑)。

 

まエイプリルフールの日ならではの大ボラの大風呂敷を拡げてみましたが、ゲーム感覚で楽しみながらやっています。でも勝負するならやはり勝ちを目指したいと思います。つまりプロ意識を忘れないでやっていきたいと念じています。

 

長々と書いてしまいましたが、最後までお付き合いいただき、大変有難うございました。

〇こさん、「つづき」の約束は忘れてませんので、あともう少しお待ちくださいませ(笑)。

 

 

 

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私の人生観を変えたイエスと「マグダラのマリア」絵 (イタリア テイツッアーノ作画)

 

 

 

 

4月1日のWIN5結果表

当方の理論通りの模試で大的中