Tちゃんのお母さんが、Tちゃんの霊に遭ったという話をきちんと確認するために、ママさんのお店に再度行くことにした。11月1日のことである。
お店に行く前にいつものようにお墓参りに行く。その日は奇しくもTちゃんの月命日である。お墓にはお母さんの代わりにTちゃんの妹さんの手によって、一番下の花瓶に小さな花が供えられていた。私は上の花瓶にお供えする。上の花瓶は先月22日にお供えした花が残っていたが、さして枯れてもいなかったのでそのままにして追加する形でお供えをした。墓参は夕方5時であったが、30分も過ぎると秋のつるべ落としは早くも夜の帳(とばり)が墓地一帯に覆い始めていた。
お店に入ったのは6時前だった。お客は私一人だった。
話は前回での私の思い違いもあった。敢えてその箇所は挙げずに聞いたままをメモにしてブログに起こしてみる。
「お花を供えてかがんで般若心経(南無阿弥菩薩)を唱えていたら、『お母さん上を見て』というの。はっとして上を見ると、石塔の上に蓮の花があってその上にTちゃんが乗っかっていたの」
「Tちゃんだったんですね」
「そうなの。娘はさらに『もっと上を見て』っていうの。上って…と思案してたら、さらに『上よ』って言うの」
「はい…」
「もつと上を見ると、観音菩薩様(大仏様)が座っていて、その掌(てのひら)の上にTちゃんが乗っかっていたの」
「すごいことですね」
「私、Tちゃんは観音菩薩様の上に乗せられて良かったねっていってたら、はっと目が覚めたの」
「でもTちゃんを実際に見たんですよね」
私はお母さんはTちゃんを見たのは現実のことなのか、夢の中のことなのか、はたまた夢現(うつつ)の中での出来事なのか、それを知りたかった。
「仏様の世界なの、そこで娘に会ったの。それでいいじゃないの」。それでもさらに3回も聞き直していた。ママさんはそのたびにいら立ちを募らせていた。
私は文学の世界では観念の領域(非現実の時空間)は否定しないしむしろ好きでさえある。一方現実社会では徹底的な合理主義者であると思っている。それでいて現実世界での神秘的、超自然的なオカルト現象を否定しないし好奇心も人一倍ある。以前は雑誌「ムー」も定期購読していた位である。今でもyoutubeで心霊現象やUFOはちょくちょく見ている。それでもyoutubeの動画を100%は信じてはいない。なぜならばウラが取れないからである。
ママさんに、この話をお寺の住職にしたことはありますかと尋ねたら、住職の奥さんにたまたま出会った時、その話をしたら、奥さんは、非常に珍しい話ですね、と言われたとのことだった。私は、なぜ住職に確認しなかったのと突っ込みたくなったが、やはりそこまでは言えなかった。
しかしこうした不思議な霊的現象は、単にTちゃんの霊が現れたということより、「蓮の花」「観音菩薩」と共に出現しているのだから、大変な奇跡的現象である。近いうちに住職にこの話をして見解を聞き、いずれブログにアップしたいと思っている。むろん住職にとっても宗教的現象として喜ばしい話なので、一笑に付すことはないはずである。だから逆に訊き方にはよほど慎重に言葉を選ばなければならないと思っている。
ただ私個人としては、Tちゃんのお母さんが体験した心霊現象は現実にあったものと信じている。
それはともかくTちゃんのお母さんは、霊感が強い人で心霊現象をなんども体験しているという。例えばTちゃんが亡くなった年は、3月が成人になる月であったが、その年の成人式に出席出来ることになっていた。不思議なことに1月15日の朝、お母さんは寝ている床で今は亡きTちゃんに掛け布団を揺り動かされて起こされている。
「Tちゃんは本を読むことが好きな娘だったけど、電車の中で座って本を読んでいる姿を何度か見かけているの。他の話として実家の夭逝した姪っ子がヤクルトが好きだったと聞いたので、仏壇の奥に置いていたらピチャピチャ音がするので覗いてみたら、飲んだ跡があったの」
次の話は心霊現象とは言えないかもしれないが、不思議な話である。
「Tちゃんが今わの際に(喘ぎながら)『いいか、いいかって、言っている』と私に訊くの。私その時は全然気づかなかったの。後でわかったことだけど、あれはあの世からのお迎えさんが娘にあちらの世界に連れて行っていいかって訊いていたの。私は分からなかったことが非常に悔しいの。本当はそんな時は強く手を握って決して連れて行かれないようにしなければならなかったの」。ママさんは極力感情を顔に出さないようにしていたが、悔やんでいる様子があまりに痛々しかった。
明日は、年が改まるお目出度い日ではあるが、Tちゃんは、その目出度い正月の日が命日である。県内Y市にあるK座は、かつてTちゃんが籍を置いていた劇団である。ママさんによるとその劇団は今なお活動を続けており、団長は親の跡を継いだ二代目であるが、毎年元旦にTちゃんのお墓参りに来られるとのことである。有り難い事である。
劇団関係者の話では、Tちゃんは生前、劇団ではお母さんの自慢話をよくしていたという。ママさんはそう言うと、嬉しそうに誇らしげに頬を緩めるのであった。お母さんは娘自慢はしないけれど、私はTちゃんは良家のお嬢さん育ちの気品ある女性だったとの印象が強くあった。
(本稿つづきます)
(付記)
本年もあっという間でしたが、ご訪問の皆さま、大変ありがとうございました。今年は新年早々入院してしまいましたが、その後はつつがなく過ごすことができました。
これから恒例(高齢?)の古い付き合い人たちとの「家族で忘年会」です。
皆さま良いお年をお迎えください。来年も良い年でありますよう心よりお祈りいたします。
蓮の花に乗ったTちゃんの霊が現れたTちゃんの眠る墓