私には今までに、私の人生にとても影響を与えてくれた方々が沢山います![]()
その中でも私を大きく変えてくれた言葉をいただいた方が3人います。
①学校の先生
②日本語教師養成講座の講師
③ニュージーランドの日本語の先生
こうやって書き出してみると、
みんな先生ですね
今日は①の学校の先生について書いてみたいと思います。
私は学生の頃、自分の意見がなかなか言えず、声も小さかったので、全然しゃべらない子として定着してました
今、思い返すと、私も発達障害なんですね
発達障害グレーゾーンは大人になると
苦手な部分が自分でカバーできるようになる人が多いといわれていますが、
多分、私もそのうちの内の一人なんだと思います。
今でもそうなのですが、言葉よりもイメージというか、絵とか色とかが頭の中に浮かびます。
だから、日記や作文で自分の気持ちを書く時に絵で書いてしまう長男の気持ちがよく分かります
学生の頃は国語と英語はボロボロで、大嫌いでした。
そんな私は理系に進みましたが、卒業後、
日本語教師になって海外へ行く!と言った時には
両親は「国語と英語が苦手なあんたがなんで???」
それはそうなりますよね
自分でもよく分からないのですが、多分、
私の事を誰も知らないところで、
自分を変えたかったんだと思います。
どうしても、海外に行きたくて、
海外で働くなら日本語教師って思っちゃったんです。
話がそれてしまいましたが、
高校生の頃、
私はハンドボール部に所属していました。
私がハンドボールに入部した時も、
両親は「運動が苦手なあんたがなんで?」
担任の先生は「ハンドボールってどんな競技か知ってる?あなたには向いてないと思うよ。」って言われました
それでも、私は中1から高3まで6年間ハンドボール部を続けて、その時の仲間とは今でも年に何回か飲み会をするくらい仲良しです
私たちは最初、弱小チームでした。
そんなチームを変えてくれたのが、
新しくきた部活の先生でした。
私立の女子校で、部活には力をあまり入れてなかったので、練習時間があまりありませんでした。
試合を見にきた親には
見た目からすでに負けてるって言われました
そんな私たちが神戸市で1位2位を争えるくらいまでになれたのは、その先生のおかげです。
そんな先生から言われて今でも私の心に残っている言葉が、
「マキはやればできるのにやらへんだけやねん。あんたが自分を変えんとチームは強くはなられへん!」
です。
怒られてるはずなのですが、
なんか嬉しかった事を覚えています。
そこから私の中で少しずつ何かが変化していき、海外で日本語教師!に繋がっていったんです